『東京島』/『メタボラ』。

東京島 (新潮文庫)

東京島 (新潮文庫)

映画化、ということで書店に平積みになっていた。
帯の木村多江さんに魅かれ、思わず購入し読了。
無人島に残された、31人の男とたった1人の女、という無茶な設定。
その想像しがたい異常な世界を、見事に描いた桐野の筆力には脱帽。
これ逆に31人の女とたった1人の男、だと小説にはならんのだろうなあ…
なったとしても、スポーツ新聞の中面にあるような小説になっちまうだろう…
て、見たことないので言うほどよく知らんよ。つうか、話は横道にそれるけども、
あれって最初から最後まで通して読む人いるんだろか。見るたびに思う(見とるがな)
で、東京島である。中盤までは小説内に溢れる臨場感を存分に楽しんだが。
あとでネタバレ反転でも書くが、ラストがなあ… どうも後味悪さが残る。
あと、女のいやらしさに吐きそうになり、女の怖さに戦慄が走る。
何回か書いたことがあるかもしれないが、自分が多分に中性的だからかもしれんが、
どうも「女性女性した女性」や「男性男性した男性」が好きになれんのである。
あらためてそんな自分を再発見した次第。ま、それはともかくとして。
主人公のしぶとさには脱帽する。その辺がまた苦手なんだろけど… いやもう言うまい。
で、解説に同じ桐野の『メタボラ』の名が出ていた。これこそ新聞に連載されてた時に
断片的に見たことがあったのだが、いつか通して読みたいな、と思っていた。
それを思い出し、また書店に走った。
メタボラ(上) (朝日文庫)

メタボラ(上) (朝日文庫)

メタボラ(下) (朝日文庫)

メタボラ(下) (朝日文庫)

これまた、記憶喪失、逃亡、沖縄、という常人からすれば非日常を扱った作品だ。
どっちかというと、こっちの方が感情移入は出来た気がする。『東京島』が、生と性への
飽くなき肉食的欲求に溢れているのだとすれば、『メタボラ』は全体的にゆるい。
なんくるないさー、どうでもいいさー、て感じで。それが自分の感性に合っている。
また、すべてを失った主人公が、徐々にアイデンティティを得てゆく過程やら、
小説の中盤を占める請負労働の話などが、いちいち、自分の体験と重なったのもある。
しかしこれも、ラストがなあ… 新聞連載だったから、ここで終わらな仕方なかったのか。
あるいは、これが桐野という人の持ち味なのか。それはもうちっと、他の作品も読んでから
判断したい。次は『OUT』にしようか『女神記』にしようか。楽しみは続く。
あ、以前一度『東京島』だけで好き勝手レビューを書いたのですが、やっぱ、ひとつ読んだだけで
聞いた風なこと書いたらいかんわ、と思い直し、せめてもう一つ桐野作品を読んでから書き直そう、
ということで、削除しました。老婆心ながら、それを目にされた方のために、説明申しあげます。
以下、手短に、ネタバレ感想など。






東京島』は、中盤は息もつかせぬサバイバル小説なのに、最後が「絵日記風」になるのが残念。
あと、これ、筋とは関係ない疑問として。「双子は細胞分裂して生まれるそうですから…」のとこ。
「チキ」と「チータ」は男女の双子だから、二卵性双生児の筈ですよねえ… むむ。
いやわからん、卵巣の中ではひとつだったいうことで? 細かいこと気にすると、損やね(笑)
『メタボラ』の方は、記憶を思い出してからの主人公がくどい。いや、こんな言い方は失礼だが。
飲み屋で聞いてもいないのに自分の過去を語りだす人みたい?まあ、そいうの、嫌いじゃないけど。
「聞きたくない人は、耳を塞いでくれ」て自分でも言うたはるのが、なんかね。
そういうとこも、いちいち自分とかぶるんだなあ。





「『この島に欠けているのは、愛なんだ。あなたが皆に愛を与えてくれれば、完璧になる。
  そう思わないか』
 『愛って何』
 ユタカは胸に手を当てた。
 『すべての男を愛してやってくれ』」
                       『東京島』より


「誰の愛も持ち込むな、愛を発生させるな、愛を堆積させるな、愛を排除しろ。
 クリーンルーム四原則ならぬ、僕の四原則だった。
 クリーンルームとは、僕自身なのだ。」
                        『メタボラ』より