声楽家ムーラン、debut。

暮れの「百万人の第九」… (大杉やろ。しかしこう、よく言い間違える。)
いやさ「一万人の第九」に今年は参加を決め、毎週レッスンに通っている。
動機は、かつてこんなとこにも書いたが…
http://d.hatena.ne.jp/Moulin/20091207
http://d.hatena.ne.jp/Moulin/20100413
やはり、「あとは君に任せた」という義父の言葉が大きかったのだろう。
しかし義父は、言うときながら今年も参加してはるので、いささか自分としては、
「騙された感」がないではない。いやまそれは冗談として。いいきっかけを与えられた。
始めてみると、これが実際、なかなか面白い。やっぱ自分は、歌が好きなのだ。
初歩ながら、声楽の基本を教えてくれる。それには、目からウロコがボロボロ。
「高い声を出す時は下を向き、低い声を出す時は上を向け」てのには特にびっくり。
コペルニクス的思考の転換をいくつも経、どんどん「ええ声〜」になってゆくのが嬉しい。
仕事でも「ええ声〜」、使わせて頂いてる。また先日は甲子園で、めっさ「ええ声〜」で
六甲颪』を高らかに歌ったった。気持ちよかったよ。最近気持ちよくないのは別の話。
また、そういった声楽の基礎をはじめ、先生のレッスンの進め方が非常に面白く。
二時間のレッスンがあっという間に過ぎてしまう。間のとり方や、たとえ話の展開など、
同じ授業をする者として(同列に語るのも失礼だが)、参考として得るものが多々ある。
ついでながら、穴熊的生活者の私である。風貌も穴熊だがそれはさておき。
普段ウメダに出ることがあまりないので、週に一度のこの機会が最近の喜びである。
特に昼飯が楽しみである。しかし先だってヨメに「昼ごはんは何食べてるの?」と問われ、
揚子江ラーメン→四川辣麺→古潭ラーメン」と答えた時に、首を絞められかけた。
むむ、かの権藤博も真っ青な連投ぶり。体型だけは声楽家まっしぐら、の恐れがある。
そんな枝葉な話はこんぐらいにして。話を「一万人の第九」に戻すと。
自分はバスである。あなたはタクシーですか。(御約束)
声域的にどうなんかな、テノールかな、と悩んでたんだが。レッスンが始まってから、
バスにしといて心底良かったと思う。あんなん(テノール)、自分には絶対無理である。
という消極的理由もあるが。本当のところは、目立たないが、他の三つをがっしりと下で
支えるというバスの重要な役割に魅せられたからである。自分の性に合っている。
目立たない、というところから思い出したが。この「一万人の第九」において、
自分はたかが「一万分の一」である。自分ひとりくらい間違えたってどうってことない。
自分ひとり、うまかろうが下手であろうが、大勢には全く影響しないだろう。こう思えば、
いくらでも思えてしまうが。一万人の皆がそう思えば、コンサートは無茶苦茶だろう。
皆、自分が「かけがえのないひとり」であることを思い、自分のベストをつくさないと、
いい結果は出ないのではないか、と。小さくは、どんな組織にいてもそれはそうだろし。
大きくは地球環境問題、日本や世界の貧困問題とかにも通じる姿勢ちゃうか、と思う。
というわけで、風呂の中や散歩中に、練習に励んでいる次第。厳しいが頑張るで。
3回休んだらクビになるんだよ、とは何処かで聞いたルールである。何処だろう。



<本日の言葉>
“Seid umschlungen, Millionen! Diesen Kuss der ganzen Welt!
Bruder! Uber’m Sternenzelt, muss ein lieber Vater wohnen.”

(抱き合え、幾百万の人々よ! この接吻を全世界に!
 兄弟よ! 星空の上に、愛する父なる神が住んでいるに違いない。)

学生の時やってたドイツ語が、はじめて役に立ったよ(発音くらいだけど)。
関係ないが、“ganzen Welt!” がいつも「安全弁!」に聞こえて仕方ない。
空耳アワーに出したろか、と思うくらい。