異邦人。

DREAM PRICE 1000 久保田早紀 異邦人

DREAM PRICE 1000 久保田早紀 異邦人

おっと、失礼。間違えた
こっちでした。(ベタ)
異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

あまりにも有名な、あの一行で始まるこの小説。
常人にはおそらく、人生で最も大事であろう事件が、いきなり、かくもあっさりと、
無機質に述べられてしまうことの不条理。その後淡々と続く主人公の生活。
あの地中海の眩しい太陽と、恋人の、また眩しいばかりの輝き(正直惚れた)。
そこに、なんとも言えぬ物悲しさを感じさせるのは私だけか。
少なくとも、小説中の人は分かってなかったみたいだが。主人公自身を含め。
その、素晴らしい風景の中での淡白さが、あの、後半の最悪な状況の下での
ドロドロした独白と、極めてくっきりした対照を成している気がする。
・・・・
と、普通に論評しても、偉い評論家の先生方にはとても叶わない、か。
打倒サルトル!と息巻くのも一つの手だが、ここは私らしく、私らしいレベルで。
・・・・
何より、訳者が天才だと思う。あれは絶対「ママン」でなければならない。
「母」でも「お母さん」でも「母上」でも、或いは「オカン」でも。
「ママ」でも、あまつさえ「ママ上」でも(ハットリ君?)あってはならないのだ。
あの一行の、この一語のために、一瞬にして読者はこの小説の世界に引き込まれる。
最後のほうで、「私はママンから聞いた父の話を思い出した」とあったところで、
噴き出してしまった。なるほど。さすがに「パパン」にはできなかったわけだ(苦笑)
「パパン」と言っていいのは、「パパン指輪が欲しいン」と強請る婦女子だけだ。
いやそれはいいとして、やはり、この辺に主人公とママンとの、主人公自身でさえ
意識していない深い繋がりめいたものがあったのではないか。だからこそ、主人公は
泣かなかったわけだし、その後の振る舞いをしてしまったのではないか、と。
・・・ いや、小説中のみならず、読者にまで勝手に決められたら、主人公に気の毒か。
あと、この本を読んだ動機は、正直「薄っぺらかったから」である。
どっかのサイトに「新潮文庫100選に『異邦人』と『変身』があることこそ、日本の
読者嫌いを再生産し続けている」という言葉があったが、なるほど至言だと思う。
(「100選」から感想文書きなさい→とりあえずこれ薄いし、これ選んどこ。
 →なんやこれわけわからん) うん。はげしく同意する。素人にお勧めできない。
まあ、お前ら素人はフランス文学より、フランス書院でも読んでなさい、ってこった。
それは冗談として、本棚の『異邦人』の隣に、まだ読んでいない『変身』があるのには
我ながら苦笑する。いやあ、これも読まねばならん。
・・・
母の日の次の日に、この本取り上げるのも皮肉だな。なんでこんなことしたんだろ。
まあ、太陽のせいってことにしておいてください。
*****
「マリイは、あなたは私を愛しているか、と尋ねた。それは何の意味もないことだが、
 恐らく愛していないと思われる―と私は答えた。」
「日々は名前をなくしていた。私に対して意味を持っているのは、
 昨日とか明日とかいう言葉だけだった。」
「私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた。これほど世界を自分に
 近いものと感じ、自分の兄弟のように感じると、私は、自分が幸福だったし、
 今もなお幸福であることを悟った。」