『ショーシャンクの空に』/Road to 英検一級(終)「おおそうか」。
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- 発売日: 2010/04/21
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それでいろんなものを逃してきた、と今になっては思うが。
ま逃し後悔することにもそれなりの価値はあるけど。逃しても見つけたなら、取り戻せばよい。
先日バーで冒頭の映画がスクリーンに映っているのを見かけ、どうしてもちゃんと見たくなった。
もう、ボロ泣きであったね。
以下、ややネタバレてしまうが、あまりに有名な映画であるから、まあ常識ということでご容赦。
一番印象に残ったのは、終身刑の身にある主人公が仮釈放許可のための面接を受けるくだり。
更生しました、もう二度と過ちは犯しません。仮釈放を切に願います、とひたすら下手に出る。
そして跳ね返される。跳ね返されることを求めているかのように。同じことを繰り返す。
ただラスト近いシーンでは違った。
後悔してるかなんて、後悔していない日なんてない。更生なんてできない。やりようがない。
こんな面接に意味はない。時間の無駄だ。さあ不可のハンコをおしたらどうだ。朗々と語る。
すると、許可された、と
人によって取り方は違うシーンだろうけど、自分の理解としては、とことん自分に向き合い、
そういう突き抜けと言うか、達観を得るのが、解放につながんだろうな、万事、ということだ。
そう思うと、涙が止まらなかった。
自分も何か、昔いろいろあって、初めはひたすら懺悔と更生への誓いを繰り返したり。
それが喉元過ぎれば今度は、それを上塗りするように、忘れるように生きてきたり。
また、この日記でも、人生こんな素晴らしいんですよ、こんなに充実してますよ、とアピったり。
そんなんでは、まだまだだったのだろう。いや過去形で言うたらいかんな。永遠にまだまだ。
そう思うと筆も重くなってしまって、ここでの報告も滞ってしまっていたのであるよ。
そこを曲げて今回投稿したのは、丁度のタイミングで上記の主人公と同様の経験をしたからだ。
英検一級に合格した。
もう受験何回目か、途中から数えるのをやめてしまった。
(うそである。面接9回目である。ただ一次通らなかった時代を考えるとほんと数えられない)
夢にまで見た合格であったが、実際してみると、
おおそうか、で?
という感じである。
受かったから言えることなのかもしれないが、合格した回ではあのモーガン・フリーマンの
最後の面接の時のような心境になっていた。受かる受からない自体に価値があるわけではない。
特に、医者や弁護士会計士のように、それを取っていたからどうだというわけでもない。
言ってしまえば究極の自慰行為にすぎない。ではなくて、英語を使ってどう人と接してゆくか、
どう人に言いたいことを伝えるか、どう人を楽しませるか。どう言葉の壁を乗り越えて、
人と人生を共有していくか。そこにこそ価値があり、資格はその結果に過ぎない、と。
いみじくも、最後のスピーチのテーマは「伝統的な男女の役割についてどう思うか」であった。
模範解答の暗記でなく、自分がどう考え、どう生きてきたか、これからどうしたいのか、
社会にどうなってほしいのか、そのためには何ができるのか、しなければならないのか。
自分の言葉で伝えられた。それを聞いてもらえた。という、その点だけは嬉しくある。
ただ、一級保持者と言うのが恥ずかしいくらい、ほんと自分はまだまだである。
現状、言いたいことの一割も伝えられているかどうか。ただ今後とも精進し、英語を使って
周りの人を物質、精神両面の意味で豊かにしてゆきたい。
また、受験経験だけは無駄に豊富にあるので。一次に三回通った人などそういないやろ(笑)
その経験を何らかの形で還元してゆきたい。
それが自分の「太平洋の青い海」なのかもしれない。
最後になりますが、応援してくださった方、支えて下さった方、ご指導くださった方、
全てに感謝をいたします。ありがとうございました。