『砂漠『』。
- 作者: 伊坂幸太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/06/29
- メディア: 文庫
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読了。
仙台の大学生を扱った、青春小説であるのだが。ほのぼのと、さわやかな感じが快い。
また、テンポの良いストーリーと、強烈な個性を持つキャラクターが印象的だ。
特に西嶋というオタク青年が、秀逸である。彼に会えただけでも、読んだ価値があった。
「世界平和を守るために、平和(ピンフ)を上がり続ける男」。「ラモーンズを愛する男」。
自分は、西嶋の言うところの、「魂のこもっていない音楽」しか聞いていなかったので、
残念ながら「ラモーンズ」の方はわからない。一方、麻雀の方は、少しながら齧った。
しかし、よう負けたなあ… あれはいったい何だったのか… ひたすら不毛だった…
どうせ負けるなら、彼くらいのこだわりを持てばよかったのだが、と後悔する。
それのみならず、他にも多々。この小説で繰り広げられる、清々しい青春絵巻を見るにつけ、
何のヴィジョンもポリシーもなく、無為に暮らしていた自分の学生時代を思い出さされる。
そして、胃液のような酸っぱい臭い(甘酸っぱい匂い、ではない)で胸が焼けてくる。
と、あたかも今ヴィジョンやポリシーがあり、有意義に暮らしているかのような言い方だが。
そういや思い出したぞ。数年前、祖母の葬式があって。そのあと、親戚で集まって飲んでたのである。
だいぶ年下の従兄弟で、少しヤンチャしてて、東京に出て行って、プー太郎的になってる子がいて。
激励の意味をこめて、「俺も昔プー太郎みたいにやってたから、気持はわからんでもない、頑張れよ」
みたいなことをその子に語ったところ。そばにいた叔父(その従兄弟の父ではない)にぴしゃりと、
「今でもプー太郎みたいなもんじゃん」
と言われた。むむむ。これ、客観的に見れば面白いが。主観的には、だいぶ傷ついたのであるよ。
プー非プーの真偽は別に。やっぱ、「親戚の叔父さん」て「永遠のボスキャラ」よなあ、と結論。
失礼、またまた話がよれてしまった。
この小説のラストで「学生時代を思い出して、懐かしがるのは構わないが、あの時は良かったな、
オアシスだったな、と逃げるようなことは絶対に考えるな」という言葉が出てくる。
自分はそんなこと全くないのである。これは、果たして今が充実しているからなのか。
或いは学生時代が最悪だったからか、或いは今も学生時代の延長のようだからか、判断に困る。
ただ「あの時は良かった」と追憶に浸るにしろ、「あの時は最悪だった」と唾棄するにしろ、
実は同じで。昔と今と連続した自分に対する責任、それから逃げているんではないか、と。
その意味では、叔父の言葉にも一理はあるのかもしれない、とありがたく受け止める。
なんてことは、まるでない(おい)。
オアシスと言えば、その反対は、砂漠であり。それがこの小説の題名となっているわけだが。
先の言葉で言えば、学生時代がオアシスならば、社会人時代が砂漠、ということなのだろう。
この言葉の読み方は、いろいろあって。砂漠を砂漠として受け入れて、生きて行け、というのもあろう。
たしかに。いろんなものを厳しくうけとめ、いろんなものを頭で計算し、いろんなものを諦める。
それが大人になる、てことであるのは正しい。
もうひとつ、オアシスを、ただ懐かしがるだけのものにしてていいのか、と。
何故今、砂漠に水を引こうとしないのか、というのもあんじゃないかな、と。
これは、何もなあなあに、ゆるく生きてもいいんだよ、てわけじゃなく。厳しいもんだ、
つらいもんだ、仕方ないんだ、で思考停止してていいんか。もっと他にあんじゃないか、
もっと考えられないんかと。それは平和のためにピンフを上がるレベルかもしれないが。
でも、それだけのことで、砂漠の生活も、悪くないもんになるんじゃあないか。
そんな甘いもんじゃない。それはわかる。じゃあなんで甘くなくなっちゃってるんか。
そもそもじゃあ、なんで甘かったらいかんのか。辛かったら、苦かったら偉いんか。
誰も教えてはくれない。それならば自分で考えるしかなかろう。
まあ、あれだわ。枯山水、ちゅうウラワザもあるわなあ、と。
わかるかなあ、わかんないだろうなあ。俺にもわからんのだが(おい)
ごめんなさい。この『砂漠』について書こう書こうと数日苦しんだ結果、
全然まとまらんので、まとまらないなりにそのまま書いた次第。言うならば「書き逃げ」だ。
結局何やねん!とお思いの方は、是非この小説をお読みの上、ご指導頂ければ幸甚。
*****
<本日の言葉> ―数多くの西嶋語録から。
これ最強。
「自分たちさえ良ければいいや、そこそこ普通の人生を、なんてね、
そんな生き方が良いわけないでしょう。俺たちがその気になれば、
砂漠に雪を降らすことだって、余裕でできるんですよ。」
もうひとつ。
「終わった後で身悶えするのが麻雀じゃないか。
確率だなんだと分析するのは、麻雀ではなくて、ただの計算じゃないか。」