飛騨珍道中1「日本のルーツ飛騨」。






(1)腹が減っては戦ができぬ。
(2)世界の車窓から。もとい「ひだ」の車窓から。
(3)高山市内夜景。すみませんようわからん。真っ暗。
(4)名物の飛騨一刀彫り。市内の至る所にある。
(5)飛騨牛及び朴葉みそ。フラッシュたく勇気なし。
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読者の皆様、お待たせいたしました。え、待ってないですか。
「飛騨紀行」はどうなったんだ?と記憶力のよい方ならば、お思いのことでしょう。
すみません。忘れてたわけじゃないんですが。言い訳すると年末からこっち、
あるプロジェクトがすすんでまして。それが終わらんと書けんなあ、道義的に。
と思ってましたゆえ。しかし既にあれだけしょうもないの一杯書いてるやないか、
というツッコミはごもっとも。あるいは、なら飛騨行くな、というツッコミも道理。
今更ですがすみません。今後粉骨砕身を誓いますのでご容赦、と誰に謝ってんだか。
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何故飛騨を選んだのか。「雪が見たい」てのが第一の理由だったのだろうが、それなら
他にどこでもよかったはずだ。やはりいつものように理由は「なんとなく」であった。
「飛騨好き」で(発音するとなんか変)既に何回も飛騨を訪れているヨメも快諾した。
「あそこに行くとなんか落ち着くんだ」と。全くもって、激しく同意、である。
言い古された言葉ではあるが、日本人にとっての原風景、てのがそこには存在するのか。
或いは、飛騨と直接関係はないんだけど。親戚筋に聞いたところによると、我がムーラン家は、
飛騨の山向こう、「越中おわら風の盆」にルーツらしきものがあるらしい。ほんまか知らんが。
しかし、有りそでなかなか無いこの自分の苗字が、そこには結構あるんだとか。ほほう面白い。
今回そこを直接訪れることはできなかったんだが。近くまでは行けた、という意味もあったのか。
新潟県のムーラン温泉とともに、死ぬまでに行かないかんなあ、という土地ではある。
また話がよれてしまう。いかんいかん、て毎回書いてるな。毎回のことだからもう、
省略語でも作っとこうか。ま話よご(また話がよれてごめんなさい)。とでも。
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2008年12月29日。楽しみにしていた朝がきた。
しかしその楽しみにしていた飛騨行きを、「早朝マラソン」で始めた寝ぼすけ夫婦である。
さあゴールのムーラン駅が見えてきた。ムーラン、ラストスパート! ああ、ヨメは遅れた!
歩道橋を渡る先頭のムーラン!差が開くぅ!差は約20メートル!優勝は間違いなし!(待ったれよ)
いやはや、走った甲斐ありなんとか事なき得たが(夫婦関係には事あり)。だから指定席は苦手。
しかしこんなに無用に焦ることとなったのはN古屋(何故伏せる)で途中下車し、グルメな弁当を
求める企みがあったからだ。どうも優先するポイントがズレている我々。眠気より食い気。
しかも眠気に負けているから世話は無い。新幹線の中で反省。隣で年賀状を書くヨメ(遅)。
まあそれも叶い、N古屋で好物のひまつぶし、じゃなかった、ひつまぶしをゲット(御約束)。
意気揚々と、特急「ひだ」に乗り込む。折からの観光シーズンで、指定は完売だったそう。
自由席の立ち客がデッキにへたり込んでいるほどの混雑。そして外国人が非常に多い。
やはり「これぞ日本だ」というものを求めているのだろうか。そういう選択をしてくれるのは
日本人としては嬉しい気がするが。世界遺産登録の影響もあるだろう。それはまた書くかも。
「ひだ」はN古屋からまずG阜(また何故伏せる)に行き、G阜で「スイッチバック」となり、
いよいよ高山本線に入っていくわけだが。すなわちG阜までは「背面走行」をするわけだ。
後ろから前へと遠ざかっていく景色、て、あーうまく説明でけへんねんけど、わかります?
その遠ざかっていく景色が、気動車のモーター音とあいまって、旅情と鉄オタ熱を高める。
「前に向いたら、うなぎ食おうね」を合言葉に、ひたすら我慢の子であった。が。
落とし穴があった。全く、オタクにあるまじき「甘さ」。高山本線をなめていた。
カーブのたびに、うなぎが飛びそうになる。「守り」ばかりに気が取られ、全くもって
「攻め」の食事ができなかった。まさにサッカー日本代表のごとき決定力不足。反省。
次回行くことがあれば、「最初から、うなぎとごはんを混ぜとけ」であるよ。
その、てんやわんやの食事も終わり、列車は(電車ちゃうで)山中へと分け入っていく。
飛騨は何故「ひだ」と言うのか。
山が「ひだひだ」になって連なっている様子から、という説もあるらしい。
「奥ひだ慕情」ちうのもあながち間違いではない訳だ。(「お前しつこいよ」、と朝青龍風に)
あるいは、「ひな」(鄙)が訛って、「ひだ」となった説。鄙とは鄙び。雅(みやび)の逆。
この説によると「いな(伊那)」も「えな(恵那)」も、果ては「しなの(信濃)」も、
全部語源が共通なのだとか。鄙。田舎という意味もそうだが、中央政権に対する反対勢力の総称、
という解釈もあるらしい。そう考えると、なんか、アウトロー的な魅力も出てくる。
「山ひだ」と、「鄙び」と。真偽のほどはわからないが。
この車窓を見ていると、何か納得させられるものがある。
車窓はいつの間にか雪景色となってきた。トンネルをくぐるたびに、積雪量が増してくる。
きたなあ、と感慨に浸ってると、職場から携帯が鳴る。少し面食らったが、出ないわけにもいかない。
デッキに出て応対。「○クラスの○○が1月4日の授業を振り替えたいと電話してきたんですけどー」
感慨は甘美であり、現実は苦いもの。苦さを噛み締め席に戻ると、相変わらず年賀状を書くヨメ。
うお。俺も、たまってる採点を片付けないかんはずなんやけど…、と少し暗澹とする。(暗澹としただけ。)
高山駅に到着。かって知ったるヨメの案内で、その後市内観光。いろいろまわって見たが、
長くなってきたので、それはまたに譲るとして。路傍に点在する石造とか、祠とか、彫刻とか、
そんなんがいちいち芸術的で、ぶらついていて楽しかった。ヨメが大好き!というのも納得である。
あと、左党としては「日本酒立ち飲み」がありがたかった。また書くが、飛騨への移住も
憧れるものであるが、もしそうなったとして問題な点だな。この環境では間違いなくアル中になるな。
今ですらたいがいやのに。
この日はぶらりと入った居酒屋で夕食。飛騨牛と朴葉みそ。その定番もよかったのだが。
自分的には「漬物ステーキ」がヒットだった。写真が紹介できなくて残念。
宿に帰り、何気なく引き出しを開けたら、聖書とかが入っているのとともに、絵本みたいのがあった。
「日本のルーツ飛騨」という題のその本。歴史オタとしてはなかなか興味深く、夢中で読んだ。
これも長くなったので詳細は避けるが、要約すると「あの『高天原』は実は飛騨である!」という
衝撃の主張である。あの『古事記』の稗田阿礼は、「ひえだ」ではなく実は「ひだ」である。
飛騨に伝わる伝承を稗田家が代々守り続け、それをまとめたのが、実は『古事記』なんだ、とか。
イザナギイザナミが「国生み」をした舞台も、アマテラスとスサノオが生まれたのも飛騨である、と。
そもそも飛騨の語源は「日抱き」に通じ、太陽崇拝との関連がある、うんぬんかんぬん。
まあ、これも真偽のほどはわからんのだけど、もしそうだとしたもええんちゃうかな、不思議ちゃうなあ、
と納得させるものがここ飛騨にはあるような気がする。それが多くの人を引き付ける原因ではないか、と。
この本、どうしてもまた読みたくて、市内の書店をめぐったのだが、なかった。
帰ってネットで検索すると、どうも超能力関係の人が書いたものらしいが… む…
ま、それで真偽にどう影響する、とかいうコメントは避けるとするが、
それは別にしても、説明しようのない神秘的雰囲気がここ飛騨にあるのは確かである。
神秘の夜は静かに更けて行った。というか満腹で動けなかった。