飛騨珍道中2「ステレオタイプ/ファーストフード王国・飛騨」







(1)陣屋前朝市の賑わい。
(2)高山陣屋。苦しゅうない。近う寄れ。
(3)食い気その1。
(4)食い気その2。
(5)食い気その3。
(6)食い気その4。
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高山と言えば、やはり「朝市」である。
マーケット好きの我々としては、やはりはずせない。
今回有名な「宮川朝市」は楽しめなかったが。(元旦に行ったら、もぬけのから)
陣屋前朝市では、正月用の品を求める人々の賑わいを楽しむことが出来た。
地元のおばさんの会話も面白く。会話に「らー」という謎の言葉が挿入されるのは何か。
地元民だけが分かる合言葉か何かか。おばさんは仮の姿で、実は忍者だったり。
そして陣屋見学。ま、普通に古屋敷なんだろな、とあまり期待はしていなかったが。
ところがぎっちょん。非常に充実したひとときであった。人生観すら変えられた(またか)
「記帳部屋」では、「『中村さぁん、また居眠りですかあ』ごっこ」に興じ。
「拷問部屋」には、数々の拷問道具に、少しドキドキした(なんでよ)
また「お白州」では、やはり御約束の「大岡越前ごっこ」「遠山の金さんごっこ」。
或いは「悪代官ごっこ」である。代官と言えば、やはり「悪」という枕詞無しでは語れない。
・・・
「その方ら、本年より年貢を増せとの、とお上からの御達しであある」
「お許しくだせえお代官様。それでは冬が越せませんだ。何も知らないオラたち百姓だども、
 それはあんまりのお仕打ちで…」
「ええい、だまれだまれ、その方らは黙ってお上の言うことを聞いておればよいのじゃ」
・・・
冗談でなく、これが、自分の頭の中にあった「江戸時代像」であったが。果たして。
いつものごとく「ガイドさん盗み聞き作戦」に出ていたのであるが(ちゃんと頼めよ)。
この初老の紳士の話が非常に面白く、聞き入ってしまった。最初から聞いときゃよかった。
天領であった飛騨には、江戸幕府きっての優秀な代官が送り込まれ、彼らはよく働いたと。
多くは、この飛騨に骨をうずめることになり、生きて江戸に帰れたのは僅かだった…と。
ま話よごー。天領として他に有名なのは、大分の日田である。日田と飛騨。語感も似てるし。
両方とも山間部の遠隔地。何か関係があるのかしらん。とその時思った疑問はそのままになってた。
とにかく、「ね、みんな頑張ってたんですよ。悪代官なんていなかったんですよ…」という
ガイドさんの言葉には不思議な重みを感じた。その後ガイドさんは、ガラッとモードを変えて。
「でもでも、この○代目の○○さん!この人は悪代官ですよ」 一同爆笑。
罪状は年貢米をちょろまかしてたこと、世襲が原則禁じられてるにも関わらず次期代官職に自分の
息子を無理矢理つけたこと。その過程での悪事… とまあ、あまり目新しい話ではない。
「ほんとに、やっぱり、二世というのはいつの時代も、ねえ」と、また笑いをさそうガイドさん。
しかし今度はまた真剣モードに変わり。この悪代官の時代に、民衆は立ち上がり、反乱が起こった。
その首謀者である農民が捕まり、処刑されるまでの間に獄中から妻に送った手紙、というのを、
紹介してくれた。これは非常に感銘をうけた。まさに名文である。逐一詳記することは避けるが、
君にはもう一度会えたから思い残すことはない。運よく死刑を免れればまた会えるかもしれないが、
それも叶わないだろう。家族で支えあい、親を大切にし生きてくれ。また、この間○○様より
柿を頂いたのにちゃんとお礼をしとくように… うんぬん、とある。その妻を思う気持ちと、
細やかな心遣いもさることながら、まさに至玉ともいえるほどの教養溢れた文章。
「因らしむべし、知らしむべからず」と教養を奪われていたとされる「百姓」像からは程遠い。
悪代官、何も知らない百姓、このステレオタイプて、いつの間にできてしまったのだろう。
明治維新が日本の「市民革命」であるとは言うが、立派に確固たる意思と教養を持った市民が
既に江戸時代にいたんだ、と。しかもこの筆者は、18歳! 自分の18の時、いや今の自分ともえら違。
確かに人間の文明は発達したが、文化は、精神性は、後退してんじゃ…
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そんな、文化的とは程遠い我々にとって、飛騨は危険な町であった。高山も、次の白川郷も。
ヨメの言葉を借りてしまうが、「飛騨はニッポンのファーストフードエリアだ」と言っても過言でない。
いやさ、「王国」に格上げしてもいいくらいだ。通りを歩いていると五平餅、牛串、コロッケ、おやき
みたらしだんご… と数々の罠がしかられている。その罠に全部ひっかかるのもどうかと…(笑)
牛串なんぞは、あざとい。もうもうとおいしそうな煙を、わざとか知らんがあげている。
我々は、その煙のにおいだけでご飯を食べ、におい代を請求された(嘘)
食いすぎを反省した我々は、峠道を走って、次の目的地・白川郷へと向かった。
嘘です。高速バスですいーっと到着してしまった。満腹で爆睡。至福ではあるが、
こんな不健康なことはあるまい。本能のまま、原始人の如き我々であった。
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<本日の言葉>
「寒紅(かんこう)は無常の風に誘われて 莟(つぼみ)し花の今ぞ散り行く
 常磐木(ときわぎ)と思うて居たに 落葉かな」

                義民 本郷村 善九郎 辞世の句
・・・
善九郎は首を切られる直前に、特別に申し出て、辞世を詠ませてもらったらしい。
農民が辞世なんて…とでも思われていたのだろうか。何も用意していなかった獄吏は、
鼻紙にその句を書き留めた…、と。だからこの句が後世に残っている。
残してくれた獄吏も、またその時代を生きた人であった。