「あきらめない街、石巻。その力に俺たちはなる」4。

いよいよ、楽しみにしていた石巻の食事である。
まずは1軒目。麺党としての義務。「石巻やきそば」を食す。
平日の、まだ明るいうちから、焼きそばにビールの至福。
後ろめたさがまた、絶妙のスパイスである。茶色の不思議な麺は、
「風月」の焼きそばを思い出すが、もう少し細くちぢれた感じか。
トッピングの目玉焼きが秀逸。「たまごのっけ」は永遠の憧れだ。
2軒目は、知る人ぞ知る雲丹丼、海鮮丼の名店へ。しばし歩いて移動。
旧店舗は津波に押し流されてしまったらしいが、別の場所に移り復活。
頑張ってらっしゃるらしい。
ただ、自分は雲丹にあまり思い入れがないのと、焼きそばでもう既に、
炭水化物をいいだけ摂ったので。ここでは刺身と焼き物をつつきながら、
地酒を頂くこととする。やはりうまい。語彙が足りなくて恐縮だが、
ほんとにうまい、その一言である。ひとりぼーっと余韻に浸る。
ほろ酔い加減でてくてく市街地に戻り、3軒目は小粋なバーに。
せっかくだから、とホヤを注文すると、マスターがいいのが入ってるよ!と、
獲ったそのままのをさばいてくれる。ナマコとかもそうだけど、原型は
グロテスクそのもので… 一番最初にこれ食べた人は偉いよね、と感心する。
味は、これぞホヤ。自分が今まで食べていたのは何だったか…と思うほどだった。
ここではご常連さんやマスター、バーテンさんと楽しく会話をする。
前にも書いたが、「どこから来ましたか」という問いに対して答えるのには、
常に迷う。「大阪から」では微妙に嘘であるし、「兵庫から」とは兵庫県人は
普通言わない。神奈川県の人が「神奈川から」と言わないのと同様である。
そして「T塚から」と言うと、絶対Tカラヅカの話になってしまう。今回も同様。
「おーTカラヅカ、ランラララー」ご常連さんしばし熱唱。黙って聞く。
そして「どうしてまた石巻へ?」との当然の問い。少し迷ったがここは正直に、
石巻工業の甲子園での活躍に感動して…」と返答。するとバーテンさんが、
「へえ、実はうちのオヤジが石巻工の出で、自分も付き添ってあの試合に行きました」
と。ううむ。これも縁だねえ。なんか感慨深い。しばしあの試合について盛り上がる。
ただその後、考えさせられる会話も出た。「どうですか、関西での震災報道は…」
この問いに対しては、「いや、残念ながら、ほとんど皆無と言っていいですね…」と
答えざるを得ない。「そうでしょうね。逆に自分らも神戸の時とかそうでしたし…」
む。確かにその点に関しては類似しているかもしれないし、両方ともとてつもない
悲劇なのもそうだけど。阪神と東日本は、やはり同列にできない点もある。
被害の規模と範囲が全然違う。また、復興のスピードも段違いである。
阪神の場合は範囲も絞れるのと、「とりあえず元の姿に戻す」と目指すものが明確で。
また、都市自身の体力も、言いたかないけど、国はじめ周りの「復興させよう」という
気持ちも(それは善意と言うより利害の面から)より強かったのであろうが。
翻って、東日本。範囲はあまりに広く。どこに力点を置けばいいのかという問題があり。
もともと過疎化という問題を抱えていたところであるので、復興後の姿をどう描くのか、
それもなかなか見えないのではないか。そもそも国に復興させる気がどれほどあるのか。
という考えが一瞬頭をよぎったが、それを言葉にし、その場で発することはできず。
阪神大震災の方を軽んじたり、東日本の復興に携わっている人々に目を向けて
いなかったりというわけでは決してありませんので、それはご承知ください)
千鳥足で、4軒目はスナックへ。いやあ、泊まった宿にスナックが併設されていたので、
仕方がないじゃありませんか。行かねばならんでしょう、と誰に言い訳をしているのだ。
読者の皆さんは、これだけ梯子して大丈夫なのか?とお思いでしょう。大丈夫じゃないよ。
ここでも地元の皆さんと楽しく盛り上がったが、記憶がまだらで…
ごめんなさいごめんなさい。きゃあ、かあちゃん堪忍。(誰がかあちゃん
ただ、みなさん明るく、楽しい人々であったことははっきり覚えている。
一人不思議なオジサンがいて。カラオケで自分がちょっと歌っておいて、ぐだぐだになり、
はいっと、全部こっちにマイクを渡してきた。何度も。おかげで自分が何度も熱唱してしまった。
*****
「なんでもないようなことが
 幸せだったと思う…」
*****
その時は楽しく歌って(絶叫して)いたが。
これをあそこで歌っていた、ということに今更ながら凛とした気分になる。
オジサンは自分にこれを歌って欲しかったのか、あるいはご自分では歌えなかったのか。
(続きます。次回、最終回)