「あきらめない街、石巻。その力に俺たちはなる」3。

めちゃくちゃに自転車を漕いでいるうち、空き地の中心部に来た。
路肩はぼこぼこでところどころ水がたまっていたりで、注意が必要で。
徐行を余儀なくされ、落ち着くことを余儀なくされた。
と、これもまったく偶然なのだが、気づくと祭壇の前に出た。
荒野のど真ん中に、大きな看板があり「がんばろう!石巻」と大書してある。
その前には花が無数に捧げられている。思えばここに呼ばれていたのだろうか。
跪き手を合わせ、ひたすらに祈った。こうするだけでも、来た意味はあったか。
看板と祭壇の前の路面には、これまた大きな字で「復興するぞ」と白ペンキで
書かれている。その強い思いには心を打たれる一方で、複雑な感情も湧き上がった。
この莫大な荒野にぽつねんと佇むこの場所。彼らが、いや我々日本人全体が、
相手にしているもののとてつもないでかさと、それに対する人間の儚さを思った。
我々日本人全体が、といいつつも同時に、日本における彼らの立場の象徴にも
思えてしまった。ただこれを吹きすさぶ嵐の中のかよわき一輪の花と見るか、
暗黒の闇に光るひとすじの光と見るかは、見方次第なのだろう。後者であってほしい。
しかし具体的にどうすればいいのか。答えには窮する。
繰り返しになるが、これでも格段に進歩はしているのかもしれない。そこを自分は
見ていないので、その辺は割り引いて考えねばならないが。
その後は、今度は不思議に引かれてではなく、確信的に、かの石巻工業高校へ。
あの子たちが、ここで育まれたのか、と感動しつつ敷地の周囲を巡る。
ネットは目隠しがしてあって、中を伺うことはできなかったが、球音が響いていた。
ただ、冷静に考えると平日の昼間に学校の周囲を自転車でぐるぐる回っているオッサン。
怪しいことこの上ない。
自転車返却にはまだ時間があったので、もう少し市内を巡るとまたまた偶然なのだが、
とあるホールで、岩崎健一氏と岩崎航氏というご兄弟の合同個展をやっていた。
健一氏は画家、航氏は詩人でいらっしゃる。お二人とも、筋ジストロフィーという
病と闘いながら、創作活動を続けておられるとか。あとで知ったが、航さんは
ほぼ日刊イトイ新聞」でも取り上げられていた(http://www.1101.com/iwasaki_wataru/)。
健一氏の力漲るような強い絵、航氏の生命が迸るような言葉に、茫然となった。
生きることの根本、それをサポートし、されること、感謝、ひたすら感じ入った。
先ほど来の「悩み」に対する手がかりがつかめそうな気もしてきた。
両氏のお父様がその場にいらっしゃって、是非に一枚どうぞ、とすすめられたので、
健一氏の手による向日葵の絵葉書を頂いた。ヨメも自分も大好きな花。生命の象徴である。
それは今リビングに飾られている。
それではいよいよ、石巻の夜である。グルメである。
再び街に繰り出した。
(また、続きます。)