「あきらめない街、石巻。その力に俺たちはなる」2。

6月10日。
飛び起き朝食を摂る間もなく出発、早朝の伊丹空港に到着。
空港のスタバにて朝食。合計金額は偶然にも777円。フィーバー。幸先良し。
と、仙台行きのお客様へ。到着地が濃霧のため、福島で途中着陸の可能性あり。
その条件付き離陸とさせて頂きますとアナウンス。むむう。旅の最初にして波乱含み。
まあそうなったところで、福島も回れるし電車乗れるし(オタク)いいか、と気を取り直す。
周りではビジネスマン達が「もし福島に着いたら、新幹線乗って…どれくらいですか?」
と不安気に相談している。こちらはプライベートだからいいが、仕事の人は大変そうだ。
短い空の旅。果たして着けるのか。不安の中、機は雲を切り裂くように進み、
なんとか薄靄のかかる仙台に到着。まずは一安心。
あの日、水没し孤立した空港である。今あの日を伺わせるものは、見たところないようだ。
空港から、空港アクセス鉄道にて仙台に出、そこから仙石線に乗り換えて石巻を目指す。
仙石線は、一部区間がいまだに不通となっており、バスによる代替輸送を余儀なくされている。
恥ずかしい話、今回の旅行を決めて、旅程を立てる時まで、自分はその事実を知らなかった。
風化させてはいけないと思いつつ、実は自分の中にある風化。まざまざと見せつけられた形。
乗継駅の松島海岸駅で鉄道を降り、代替バスに乗り込む。この辺りでは、あの日の爪痕が、
おそらくはそれでもだいぶ改善はしたのだろうが、まだまだ残っているように感じた。
割れて波打つ道路が、水たまりか潮だまりかに浸かり、そのまま放置されている。
遠くに見える海岸べりは、果てしのない空き地であり。その中に黒い塊が林立している。
目を凝らすと、それはお墓であった。黒いお墓というのは、関西人である自分は見慣れない。
見ないかん、しっかりみないかんと思いつつ、どうしても俯き加減になってしまう。
代替区間は終了し、再び鉄道の駅へ。地元の女子高生だろうか。明るく話に花を咲かせている。
この地方の方言だろうか、心地よいリズムの言葉だ。話題は最近のファッションであったり、
アイドルであったりで。流行語と方言とのミックスが非常に素敵であった。立ち聞き失礼。
何度もこの旅行では痛感するが、この明るさが、実によい。
そしてようやく目的地・石巻に到着。石ノ森章太郎のキャラクターが出迎える。
ここからは、レンタサイクルで、名所を巡ることとする。汗ばむような陽気となってきた。
まずは腹ごしらえ。市場のようなところで、刺身をはじめ海産物を買うと同時に、少額を払えば
ごはんと味噌汁(カニ入り!)をつけてくれる。店内にテーブルがあり、そこで頂けた。美味!
その後、海岸べりの高台である、日和山に上がる。震災の映像で何度となく放送された場所だ。
それが今は、信じられないほど穏やかな時間が流れていた。しかしやはり、海岸、それは
途方もなく広い空き地であった。いやおそらく震災後は途方もなく沢山の瓦礫であったのだろう。
空き地にショックを受けるというのも違うのかもしれない。しかしやはりショックであった。
近くでは、地元の老紳士と思われる人が、自分とは別の訪問者に話をしている。それが聞こえた。
ここはこうだった、あそこはああだった、一連の説明の最後に、老紳士は吐き捨てた。
「どんなに高い堤防作っても、どんなに強くしても、勝てねえっぺ。自然には勝てねえっぺ」
人間の存在の無力さ。そしてなぜその無力さをもって生まれてきたのかという意味。そんなことを
つらつら考えながら、ペダルを進めた。次の目的地は、自分でもなんでや、と思うが、
石ノ森章太郎記念館であった。サイボーグ009のファンであった自分にとって、それなりによかった。
ムーランルージュ、もとい、サイボーグ戦士誰がために戦う。
館を後にした次、ふらふらと引かれるように、海岸沿いの道へ。
空虚。莫大な空虚。しかしかつては様々な営みがそこにはあった。なんでだろう。どうしてだろう。
泣いたってしょうがない。自分に泣く資格なんてない。自分は何もわかっていない。何もしていない。
けど、涙が出て、しょうがなかった。
どこまでも続く一本道を、オッサンひとり、涙を流しながら、めちゃくちゃに自転車で走り続けた。
(続きます。)