神の住む島・バリ島旅行記4(終)。

中断して失礼しましたが、「旅行記」を最下位もとい再開します。
阪神のキャンプ中継を見ながら書いています。ゲン悪い…)
4日目。元旦。
この旅行では、ヨメの雨女パワーが比較的弱いなあ、と思っていた。
「もしかして克服ぅ?2014は新しい私ぃ?」とヨメは舞い上がっていたが。
何のことはない。今まで貯めていた分が一挙に放出された形だ。
もう、笑うほどの土砂降りである。
この日は午前中ヌサドゥアを散策し、昼からウブドへと思っていたが、
やむなく昼まではホテルで大人しくした。ま、ゆったりした正月もよい。

そして雨の中出発。しかしそこまで降りますか、という感じで。
1時間ほどのドライブで、ウブドに到着。山に囲まれた、芸術の町。
バリやインドネシア一円はもとより、世界中から芸術家が集まっている。
噂によると、かの元阪神(←自分の中では)新庄剛志氏も、引退後
ここウブドに移住され、絵を描きながら悠々と暮らされているとか。
ひょっとしてお会いできるかな?とドキドキしたが。まできへんわな(笑)

その頃には、やや天気は持ち直していた。まずは町内のネカ美術館へ。
本日もムラさんにガイドをお願いしていたので、興味深いお話を沢山聞く。
好みの問題もあるんだろけど、ヨーロッパ人やインドネシアの他地域の人の
絵もそれはそれでinterestingだったが、バリ人の絵はまさにmovingだった。
「人が描いた絵」と「神が描かせた絵」の違いというところだろうか。
ところで、画家の名前を見ていると、やたら「ワヤン」という人が多く。
そういえば、1日目の運転手さんもワヤンさん。小説のキャラクタもそう。
ムラさんに「ワヤンという名前は、インドネシアでよくある名なのですか?
名字ですか名前ですか?」と質問した。ムラさんは少し口ごもるような感じで。
「バリはヒンズー教です。カーストがあります。いわゆるカーストが上の人には、
その職業を表す名がまず先にあり、たとえば私には僧侶を表す名がついています。
カーストが下の人には何もついていません。ワヤンとは『長男』という意味です。」
現在のバリに関しては、職業がそれにより縛られることはないというが、
カーストの上下によって使う言葉が変わってくるなどの、日常的影響がある。
ただ、ムラさんはこうもおっしゃった。
「もともとカーストは上の方が偉いとか下がそうでないとかいうことでなく、
神様が、全ての人にそれぞれ役目を与えるために作ってくださった仕組みなのです。
ただ、僧侶偉い、威張る。貴族偉い、威張る。それは人間が勝手にやってること。」
確かにカーストに関しての議論は大きな問題を孕んでいる。差別や不平等は悪だろう。
ただ、自由主義・民主主義・資本主義に生まれ、そこで生きている我々は、
それらを万能薬であると思いすぎてはいないか。日本では若者が就職に苦しんでいる。
スペインやギリシャでは若年失業率が6割もあるとか。異常過ぎる事態ではないか。
だからカーストがいいというわけではないけど。でも何か参考にできることがないか。
目の保養も終わり、ムラさんのもとを離れ、ウブドで自由行動。
雨上がりの、適度に湿った空気が心地よい。我々は浮かれていた。傘を忘れてしまった。
後で書くが、そのためにどえらい目に合う。
待ちに待った食事タイム。今回はホテル飯やショッピングセンター内のレストランやら、
ドライブイン的なところでのバイキングなどが多くて。いわゆる「ワルン」(=食堂)で
食事をする唯一無二の機会であった。といって、あまり冒険はできなかったのだけど。

「オタオタ」という、カマボコ?チクワ?的なもの。名前が面白く、選択。
あっさりと頂けた。

ジャックフルーツと青豆のサラダ(正式名称失念)。バリ料理でありがたいのは、
野菜がふんだんに摂れることだ。おかげで体調は、すこぶるよかった。

定番の「ナシゴレン」。やはりはずせない。

こちらは「ミーゴレン」。麺党としては涙もの。
腹ごなしに、ウブドを散策開始。面白そうな品物を置いた魅力的な店が多々あり、
路地一本入るとディープな雰囲気に様変わりするのがまた楽しかったり。
街のどこを取っても絵画的で。こぢんまりとしていて居心地がよさそうで。
かの新庄氏は、ある日突然、「あ、俺、ウブドに住もう」と思いたち、
その日のうちに、その後の全ての仕事をキャンセルして、準備を急ぎ、
程なく本当に住んでしまったとか。新庄氏らしいといえばらしい話ではあるし、
我々常人にはとても真似できないが。でも、気持ちは非常にわかる気がした。

いくらでも時間を過ごしていたかったが、先ほどからまたぽつぽつきていた雨。
それが次第に本降りとなり、ついには滝のように頭から叩きつけてきた。
書いたように傘はなく。服はおろか靴やパンツの中までずぶ濡れとなりながら。
二人美しいウブドの町の中を、脇目も振らず待ち合わせ場所へと急いだ。
何の罰ゲームだ?一体自分らが何をした?と思えばそうなのだろうし。
「幸せの雨」「清めの雨」と思えば、それもそうなのだろう。
最初はぶつぶつと考えていたが、そのうちなんかもう、ヤケクソと言うか。
それも通り越し、頭の中がからっぽとなった。ただかわりばんこに足を出す。
その過程で、何かわかってきた気がした。そうか、そういうことか、と。
でも、何がどうわかったかは、残念ながら説明できへんし、思い出せんの(おい)
ああ、それぞまさに「おおそうか」いうことやん。今気づいた。
と、これ以上書くとますますヨレヨレになるので、この辺で置いといて。
そしてついに、お世話になったムラさんともお別れ。しんみりしてしまった。
日本にはいらしたことがないとおっしゃるので、日本の桜や紅葉の写真などヨメが
見せると、目を輝かせて見てらした。来てくださいよ、と。でもそれも難しいんかな。
初日のワヤンさんが「日本人は金持ちで、バリは貧しいですから」と繰り返され。
暗澹とした気持ちになったものだが。結局そう見られているのかと、悲しくもなった。
といって個人的に金を出すというのも違うかもしれんし。どうしたらええんやろな。
ともかくいつの日か、ムラさんやワヤンさんを連れて日本を案内したい。
それまでには、ムラさん並みの説明が日本について出来ねばならない。
ワヤンさん並みの行動力を持たねばならない。何より日本とバリを繋がねばならない。
もうひとつの夢は、ウブドをもう一度ゆっくりと歩くことだ。何時間と言わず。
何日でも、何週間何か月でも結構だ。ひょっとして何年にもなったら、それもありだ。
新庄氏と一緒に。もとい、ヨメと一緒に。
神の住むあの島を、歩きたい。

(完)