神の住む島・バリ島旅行記3。

3日目。
いよいよムラさんのガイドにより、遠足の一日に出る。
まずはバロンダンスを観覧。昨日のケチャッダンスとの違いが面白かった。
「バリ」の語源は「踊り」からであるとか。種々のダンスがあるのも頷ける。

真実の神「バロン」の勇姿。日本の「獅子舞」とも通じるものが。
この日は大晦日で、フライング気味だが。こいつぁ春から縁起がいぃや。

こちらは、悪魔の女王「ランダ」。いかにも悪そう。
ざっくりした話の筋を言うと、生贄にされることになった囚われの王子が、
神様に不死身にしてもらい、王子の命を奪いに来た死神が来ても平気で。
負けを認めた死神は自分を殺してくれと王子に頼み、王子は望みどおりにし、
死神は天国へ行く。めでたしめでたし、おわり、と思いきや。
それを聞いた死神の弟子が同じように天国に行きたいと望むが、王子は拒否。
死神はいろんなものに変身し王子と闘うがどうしても勝てず、そしてついに、
ラスボス「ランダ」に変身。ランダにはとても勝てないと判断した王子は、
「バロン」に変身し… …あとは秘密(おい)
『花を運ぶ妹』にもあったが、数々疑問が湧く。
神様は「不死身にする」とかまどろっこしいことせず、助けてやっては?
そもそも死神がなんで死ぬのか? 天国に行きたがるものなのか?
弟子の登場唐突過ぎやろ。「○○2」「続○○」で無理に続けるドラマかよ。
つうか、弟子も天国に送ったれよ、その差別はなんやねん。
そしてこのあともいろいろ続くが、結局オチはない。
ネタバレして申し訳ないが、「戦いはずっと続くのでした、おわり」が結末だ。
ただ、すぐ論理を求める、結論を求める、それぞ凝り固まった価値観であり、
本当は現実に全く即してないのかも。現実は、論理もオチもないことだらけだ。
後にも述べることになるが、「善悪、陰陽、+と−の永遠のせめぎあい」こそが、
バリ人の宗教感の根底にあるということだ。もう一つちなみに、ここでも、
いや、街のあちこちでも、「白黒チェック」がやたら多く使用されているのは、
チェッカーズが好きなわけではない。…書いてから非常に後悔した。失礼。
彼らの世界観「陰陽」をそれが象徴しているからである、とこれもムラさんの教え。

次は「象の洞窟」ゴア・ガジャへ。入口のいかめしいレリーフが目を引くが、
これは上でも出てきた「ランダ」であるとも、他の神であるとも、諸説ある。
よくわかっていないのは、この遺跡が比較的最近(20c)の発見であるからという。
それまでは、地中に埋まっていたそうな。これだけのものが、と感服する。
それ以上に心に残ったのは、またまたムラさんの語録。洞窟の中には、
繰り返しになるが、「陰」と「陽」を象ったモニュメント的なものがあるのだが。
それを前に語られた。
「我々は、プラスとマイナスから世界が出来ていると考えます。プラス、マイナス。
どちらも大事です。蛍光灯をごらんなさい。プラスとマイナスがあって、光がある。
どちらかだけでは、光は出ない。電気もプラス、マイナス。で、いろいろ動く。ね?」
また、シヴァ・ヴィシュヌ・ブラフマの三神を表す像の前で、こうも言われた。
「我々には、三人の神様がいらっしゃいます。まず創る神様(ブラフマ)、そして
保つ神様(ヴィシュヌ)、そして、壊す神様(シヴァ)。どなたも大事。
特に、壊す神様大事。壊さないと、地球は一杯になって、もう創れなくなります。
壊れる、なくなる、死ぬ、大事です。そこからまた、次に創るのです」
にっ、と笑われた。人生山あり谷あり、とはよく聞くけど。「谷の大事さ」までを
聞いた機会はあまりなく。また、「破壊」にここまで目を向けさせられたことも
なかった。「創造的破壊」なんての言葉もあるけど、そんな皮相な表現でなく、
どしんと脳髄に響く言葉であって。涙が出るほどの痺れた瞬間であった一方。
ムラさん、欠けている前歯がとてもチャーミングだ、と不謹慎なことも考えていた。

不謹慎と言えば。バリ観光では絶対に欠かせない、キンタマーニ高原であろう。
もうおそらく、日本人の9割9分が反応する名前であろうから、敢えて取り上げるのも
今更感が強く、どうかとも思うのだが、そこを敢えて取り上げるとすると(おい)。
言語は難しいわな。何度も述べたが、「カツオ」とはイタリア語で男性自身のことである。
日本の某国民的アニメ。日本人の心であるとか、日本家族の原型であるとか評されるが、
その実、画面では毎週何度となく、うら若き乙女が「男性自身!」と叫びまくっているのだ。
綺麗な言葉も、聞く人により、汚くもなる。その逆もまた真である。
だから言葉にとらわれるすぎるというのも、空しい事なのかもしれない。
ついでながら、キンタマーニとは、「如意宝珠」というとても有難い意味であるとか。
あ、やっぱりタマなんですか、と考えてしまう自分は、まだまだ解脱には程遠そうだ。

さらに「泉の寺」ティルタ・ウンプル。「割れ門」が高く聳え立つ。
この形の門はバリの多くの寺院で見られ、邪悪なものを寄せ付けない、という意図であると。
もしも邪悪なものが入ろうと来た場合、その門はぴたりと閉ざされるということである。
閉じなかった、ということは、まだまだ自分は大丈夫なのか。

寺院はその名の如く、水豊かであり、中では信心深い人々や好奇心旺盛な観光客が、
沐浴をしていた。自分もしようかとも一瞬思ったが、逆に水を汚しそうな気がしてやめた。

途中、ムラさんが、「あの白い綺麗な建物をごらんなさい」と教えてくれた。
寺院の隣、遥か上方にある、この白亜の御殿。これはかのデヴィ・スカルノ夫人のために、
スカルノ大統領が建てた別荘であるということだ。なんとも、場違いな建築であるか。
バリの人々は、というかどこの人々でもそうだろうけれど、高さを重んじる。
お寺より高い建物を、お寺の隣に建てるとは何事!と、地元では評判が悪いらしい。
これは、バリ(ヒンズー教)とインドネシア本土(イスラム教)との宗教の違い、
という問題も根底にあるんだろうけれど。それにしても、なんだかな、と思う。
これを建ててから、スカルノはどんどん力を失っていった、というのは偶然ではあるまい。
あ、デヴィ夫人には何ら非はない、ということを補足します。あくまで、スカルノが建てたのであって。

この日最後は、ウブド近くのライステラスに立ち寄る。こういう光景にぐっと来るのは、
人間の持つ本能に通じるものがあるのか、はたまた、その昔我々日本人の祖先が、
黒潮に乗ってはるばる南からやってきたからなのか。
ウブドは、この旅行で一番楽しみにしていたのだが、楽しみは一番最後にとっておいて、と。
この日はそのままヌサドゥアに帰還。しかし、我々は気付いていなかった。
ライステラスで、我々を祝福しているかのように思えた粉糠雨が、その実はなんと。
とんでもないマイナスへの序章であったとは。どうなる二人。じゃじゃーん。続く。
あ、「マイナスも必要」、なんでしたっけ。おおそうだ。