神の住む島・バリ島旅行記1。


少し述べたように、年末年始は、インドネシアはバリ島に行っていた。
その訪問は、あたかも、不思議な運命に引っ張られてのことのようだった。
よく、屋久島なんだかは、「屋久島から呼ばれた人だけが行ける」的な
言い方をよくされるけれど。それとも似たような感覚であった。
ちなみに、今回の旅行に関し、屋久島も目的地候補に上ったのであるが、
立ち消えてしまった。今回は屋久島からは、お呼びではなかったわけだ。
毎年のことで、私がヨメからせっつかれつつも、ぐずぐずしているうち、
(仕事の予定が立たないと動けないが、その予定がなかなか出せない)
気付けば11月。しかし例年はそのぐらいから計画しても大丈夫だったので、
正直なめていた。ところが、阿倍野もといアベノなんだかの影響あってのことか、
今年は景気がいいのか、満員、満員、グアムもパラオベトナムも、全て満員。
セブ島(フィリピン)なら空いてますが…」というサジェスチョンもうけたが、
被災地にお金を落とすという意義はあるんだろうけど、やはりそこは二の足を踏む。
その段階から、なんとなく、バリ島がいいなあと思い始めて。不思議にそれから、
テレビや雑誌でバリ島の情報を目にする機会が増え(目がよく行くようになった、
ということなのだろうけど)、どうしても行きたい気持ちが募ってきた。
ダメもとでキャンセル待ちにしといて、ダメだったら正月はゆっくりしようか、
それもええやん、という結論に達した。それが待てば海路の日和あり。来たねえ。
でもそれは何らかの理由で行けなくなった人の替わり、ということだろうから。
浮かれず厳粛に、その人の分まで楽しもうと誓った。こいうふうにブログに
したためているのは、もしかしてそういう人がご覧になった時に楽しんで頂き、
またの機会に行った時の、何かのお役に立てるように、という意図もある。
で、当日である。師走の勢いそのままに、出発した次第。
年末ということで空港は大混雑で。分刻みでチェックイン・買い物・保安検査・
出国手続きを済ませる。焦りに焦る。と、離陸時刻が遅れるとのこと。
これ、遅れてなかったら結構やばかったからその時は、非常にありがたかったが。
今から考えたら、そろそろ始まったかバリ島の洗礼、ということだったか。
離陸後はガルーダ航空の極上のサービスを楽しむ暇もなく、爆睡のうちに現地着。
入国手続きは飛行機内で済ませられ、非常にシステマティックで好感、だった。
込み合うイミグレーションを横目に、優越感にひたりつつ通過。荷物を受け取りに。
それが荷物が出てこない。出てこない。ほんまに出てこない。何度かコンベアに
荷物が詰まってしまって。現地の職員がゆったりと向かって、ゆったりと手で直し、
またゆったりと戻って行った。なんだこの緩さは。離陸前に日本で急いだあれは、
一体なんだったんだ。「時間の先物買い」が出来るならば、それを是非したかった。
ゆったりと永遠に動くコンベアを眺めながら、思い始めた。しかしまあ、ここはバリ。
バリ時間に自分を合わせよう。その調整時間という意味では、丁度いい。
一時間近く待っただろうか。ようやく荷物が出てきて、空港出口へ。
ここには、現地日本語スタッフが迎えにいらしているとのこと。そりゃあもう凄い人。
それぞれが、ハングルやら漢字やらローマ字やら細かい字で書かれた看板を持ってて。
こりゃとてもわからないなあ、と途方に暮れていたら。ヨメの名前が、ひらがなで
馬鹿でかい字で書かれているのが見えた。それを掲げていたのは、バリの民族衣装を
完璧に身に纏った、小さなおじさんだった。今までの経験から、迎えに来ているのは
アロハシャツやポロシャツを着た、若い日本人かなと想像していたので、正直びびった。
挨拶もそこそこにあっけにとられる間に荷物を持って頂きピックアップへ。
ホテルのあるヌサドゥアまでは、車で30分程度。道すがら、諸注意がいくつかあって、
滞在中のご予定はどうしますか?という話になった(めちゃくちゃ流暢な日本語)。
自分らはいつもながらのノープランで、この時点まで何も決めていなかった。
どうやらバリは交通手段に苦労するらしく、タクシー借り切りか車をチャーターしないと
自由な移動が困難であると本当に出発前後に知った。慌てて車を手配しようとするが、
やはり年末年始ということで、全然だめで。途方に暮れていた矢先である。
「わかりました、私が都合つく日は、私がガイドして、車も手配しましょう」と。
ムラさんとおっしゃるそのガイドさんは言ってくれた。ヨメも自分もムラで姓が始まる。
ムラムラムラトリオがここに結成された次第だ。ムラムラしそうだ。なわけはない。
ただ気がかりは、せっかくのお正月なのに、ムラさんが無理されるのではないかという
ことであった。お正月なのにいいんですか?と気を遣いながら尋ねると。
「バリのお正月は今(1月)ではありません。だから今は普通の日です。いいです。」
ほ。安心。それからバリのお正月の話から、話は途方もなく広がってゆく。
「バリのお正月は、バリ独特の暦に従っています。『ニュピ』と言って、特別な日です」
ああ、ニュピ。知ってる。ガイドブックで読んだ。
「その日は、火使ったらだめ、電気使ったらだめ、外国人でも外も出たらだめ。
街は真っ暗になります。外国の方は、ホテルで閉じこもって過ごして頂きます。」
うん。それも読んだ。面白い習慣だ。
「そうやって、この『世界』に休んで頂きます。我々人間、『世界』を使うばかり。
『世界』から取るばかり。たまには『世界』も休みたい。休みが必要です。」
・・・・
・・・・む。「知ってる」と言いつつ本当には知らなかったのだ。そんな深いとは。
その後、いろいろバリの宗教(ヒンズー教)の話を道々していただいた。
あとで分かったが、ムラさんは代々お坊さんの家系のご出身だそうで。非常に詳しかった。
その中でも、この日は以下の話が印象に残った。
「地獄などはない。この世こそ地獄。この世で人は、いや生き物は鍛錬を積み、
魂がきれいになれば上のステージに上がってゆく。その上にはさらに上、もっともっと上がある…
この世はその、最下層である…」
「大人でも魂が子供の人がいるし、子供でも動植物でも魂が大人でいらっしゃる人がいる…」
「この世に生まれてくる(=生まれ変わる)ことは、上のステージでダメだった魂への
一種の罰ゲームである。赤ん坊の産声は、『なんで落とされたんだ!』と嘆き泣く声…」
・・・・
そんな話を聞いていると、なんかぼおっとしてきてしまった。
自分の人生観の(もとがふにゃふにゃやが)根底が覆される気がした。
そして、なんか肩の力が抜けた。この世は地獄、罰ゲーム。
苦しいのは当たり前。我々は長い長い学びの途中。
不完全なのは当たり前…
この日はもう遅く、ホテルに着くのみで終わってしまったが、あとから考えても旅程の中で
一番濃かった日かもしれない。いきなりバリの途方もなく大きい懐に、すっぽり抱きとめられたような形だ。
バリは、ムラさんは、この話を聞かせるために、我々を呼んだのか。
こんな調子で、最初からやられっぱなしで。今後どうなりますことやら。
続きます。