「救いの言葉」。

その昔、元阪神タイガース川藤幸三氏のエピソードに魅了されたものだ。
ある同じくタイガースの大物選手が、故あって刑務所のお世話になったのだが、
出所後、ゴルフか何かをやっていた時、川藤氏と出会った時のことである。
さすがに周囲は腫れ物に触るような態度で、気まずい雰囲気が流れたらしいが、
そこで川藤氏は、それをものともせず「くさい飯て本当にくさいんでっか?」
的なことを言ったという。それで場が和み(?)大物もある意味救われた、と。
自分も似たような経験がある。
今夏の同窓会の帰りのこと。自分と他、女性2人と男性1人が帰る方向が同じで。
電車でいろいろ話をした。女性のうち1人は、名前を出したら関西の方なら
「あー」とおっしゃる方がいるかもしれない、ちょっとした有名人である。
やはり話は刺激的で、きらきら輝いているようであったが、もう既に彼女は
新たな夢に向けて始動しそちらにシフトしつつある、というのも刺激となった。
もう1人の女性は、普通の会社勤めだったのが、思うところあって勉強をし直し
助産師になったという。どういう経緯と決断があって彼女にそうさせたのか、
あまり深くは聞けなかったが、やはりみんないろいろあんだなあ、と。
男性はアメリカ帰りの研究員であり、アメリカ生活の影響からか、すごい恰幅で。
高校の頃から、おおらかなやつやなあ、ともすると時々KYなやつやなあ
(と、当時そんな言葉はなかったが)という印象を彼には抱いていたが、
アメリカ暮らしでそれに拍車がかかっていた様子である。
失礼、話を元に戻すと。
特に助産師もいるということで、子供の話は避けて通れない。一通り他の三人が、
近況を述べた後、自分の番になった。できるだけ暗くならないように心掛けたが、
やはり言わねばならない。必死か、と言われれば疑問符がつくがそれでもかなりの
努力はしたこと。結果報われなかったこと。ただ勉強になったのは確かなこと。
女性二人は、特に助産師の方は、真剣に、あるいは同情的に聞いていた様子。
ただ、すっかり湿っぽくなってしまった。そこでKYアメリカ帰りの発言である。
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「でも、お前、内心ホッとしとるんとちゃうん?」
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いやー、まー、そう言われればそうやなー、はははー、とその場の空気は変わった。
言われた瞬間は、こいつ何言うねん、と驚きとも怒りともつかない感情があったが。
だんだんと。ああ、俺はホッとしてるんかもしれんな。これが俺が本当は望んでいた形。
実はそうなんかもしれんな、という思いがじわじわ染み出てきた。図星であったわけだ。
そんで、変な形ではあるが、逆にすごく心の平安が得られたんである。それは今も、だ。
だから彼には感謝している。KYとは実は「空気読める」ということなんかもしれない。
自分も、そいう、自分ならではの言葉で、人の気持ちや立場を救える技術を持ちたい。
しかしこれ、ともするとめっさキレられる、両刃の剣。
その辺はキャラも磨かなあかんのやろね。人生、修行だ。