Road to 大阪城『2013佐渡練』。

恒例の「1万人の第九」。
夏からのレッスンも全て終了し、先日は「佐渡裕総監督レッスン」(佐渡練)だった。
あとはリハーサルから本番へと突っ走るのみ。この辺の流れは毎年ながら、
疾風のように、夢見心地のうちに過ぎ去ってゆく。今年はどんな感動が待つのか。
毎年と違うのは、再三申し上げたように、今年はバスからテノールに転向したことだ。
最初は浮気のつもりであったが、そこは浮気の常。「浮気」がいつしか「本気」になり、
気付いてみればもう、あれよと泥沼の中。あとには引けないところまできてしまった。
て、あたかも経験があってわかってるような口ぶりだが、あくまで想像して、のことだ。
当然ながら高音部に手を焼き、毎回のレッスンで絞殺される鵞鳥のような声を出しつつ、
この分だと本番は口パクするしかない、もうこれっきり、来年はバスに帰ろうと。
むしろ今年も本番バスを歌ったろうか。それがだめなら、大阪城行くのやめよかなもう。
そう思っていた頃とちょうど重なるだろうか。変化が起こった。
今までのバス生活では、本番当日に話すくらいの人はいたが、基本は独りの闘いであった。
偏見でものを言うてしまうが、テノールやる人の方が気さく(軽い、とも言うがそれは
いい意味での)な人が多いのか、今年はレッスン時からよくよく声をかけて頂き、
友人っていうのかな、いやむしろ「同志」というべきか(商売敵のフレーズやけど)。
そういう方が何人もできた。その同志との楽しい交流を支えに、なんとか続けてきた。
というか、抜けられなくなってしまった(笑)。そう覚悟すると、不思議なもので、
歌のコツもわかってきたのか、「何とか闘えるかな?」というレベルまでにはなった、
…ような気はする。怪しいところがまだいくつもあるんだけど。それもご愛嬌だ。
そして、佐渡練では同志のうちに、どうしても佐渡氏と肩が組みたい、と言う
方がいたので、レッスンが始まる遥か前の時間から四人で会場に並びに行った。
(注:佐渡練においては、男声合唱の時に、佐渡氏がステージから降り最前列の
人と肩を組んで歌うという恒例の行事がある。佐渡氏はそれを年間に約十回なさる。)
具体的にどれくらいの時間かは言うを避けるが、そりゃあもう、想像を絶するくらい前。
去年、大阪在住の自分が、都合あって東京まで佐渡練を受けに行った。その時に、
こんなバカは俺くらいだろうと思っていたが、それと同等のバカがおるとは驚きだ。
(っと同志の方がもしご覧なら本当に失礼します。でも、反論できないすよね(笑))
というか、その両方をやってる俺は、バカの二乗である。全く救いようがない。
並びはじめて程なく、別の紳士がやってきた。初めは口をあんぐりと開けて驚き、
その後は悔しがっておられた。前日に下見までして作戦をたて、この時間なら
絶対大丈夫だと思っていたが、まさか先を越されるとは驚いた。自分も佐渡氏と
肩を組むのが夢で、長年挑んでいるが、なかなか幸運を掴めない。今年もか…
と残念がることしきり。それを聞くとなんだか申し訳ない気分にもなってきたが、
ふと思い、問うた。「ちょっと待ってください。パートはどちらですか?」
「バスです。」
自分を含めた同志四人の顔がほころんだ。
「それじゃあ一番乗りですよ。自分らは全員テノールなので。」
その時のその方の満面笑みは、なかなか忘れられないだろう。
「え、ほんと?一番福?じゃあ、今年は期待できるかなあ?」
果たして、佐渡練開始。(と書けばすぐだが、実際には延々々々と待った)
いつもながら、笑いと厳しさ。緊張感と幸福感に包まれた、濃密なひととき。
そしていよいよ男声合唱の「肩組み」の時間が訪れた。我々の「作戦」どおり、
佐渡氏はバスとテノールの境目にお入りになった。でもま、それが当然だろう。
「え、これ、何か決まってるんですか?」と佐渡氏は怪しんでおられたが(笑)
バスの紳士と、我々の同志のひとりが、めでたく「肩組み」の栄誉に預かった。
紳士は、目を赤くされていたように見えた。それを見ると、こっちもぐっときた。
同志の二人目には佐渡氏の腕が、三人目には佐渡氏の手がかかっていたらしく。
四番目の自分は、佐渡氏の指先からの気を感じたくらいで、少しうらやましいが。
ま、四人の中では四番乗りだったから仕方ない。次は負けませんよ(笑)
言うても、佐渡氏と一瞬だけでも声をかわしたので(年齢を聞かれて答えた)、
まあ大満足である。…手紙を渡してたら、物議をかもしてただろうか(冗談)。
佐渡練後は、同志のうちで、またバス紳士と、また周囲のいろんな方と,
がっちり握手をかわし、本番での健闘を誓い合った。
佐渡氏もレッスン中におっしゃっていたが、それぞれに、いろんな人生を
背負っている合唱団員が、それだけでなく会場内の全ての人、東北会場の人、
日本の人、世界の人、全ての人が、せめて「1万人の第九」の日だけでも
お互いとのつながり、お互いのぬくもりを感じようではないかと、それが
「1万人の第九」の意義であるし、「第九」のメッセージであろう、と。
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「あなた(神)の不思議な力が我々を結びつけ、全ての人類は兄弟となる」
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その意味では、その意義をもう始まる前から既にひしひしと感じている。
しかし悩みもある。
来年どうしよう。バスに戻るか、テノールをもう少し続けるか。それが問題だ。
故郷での穏やかな愛か、新天地での燃えるような恋か。二人の間で引き裂かれる。
今からすごく悩んでいる。悩み過ぎて、結局どちらもしないとかなりそうだ。
けんかをやめてー、二人をとめてー(壊)
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ま、歌ってから考えましょうか。おおそうか。