Road to 英検一級「やめたのではなく、休みます」。

というわけで(毎度ながら、どういうわけですか)、受けて参りました。
すみません。前京都で受けると書きましたが、やはり移動だけでも大変なので、
大阪で受験しました。ヨメと「今回が最後」と約束をして臨みまして、結果は。
いつも通りの惨敗でした。話になりませんわ。準備が足りなかったのも
あろうけれど、いつもながら、人前では目が気になって頭が真っ白になり、
何喋ってるかわかんなくなり…。泣きたい気分でした。ふと思ったのは、
面接中に泣き出したり、キレて詰め寄ったり、という人はいるんだろうか。
さすがにそれはなかったけど、そうしたいくらいどんよりした気分になった。
七回目の今回も、おそらくだめだろう。これはもう、自分はもう性分からし
(今のところは)人前で話せない人なんだ、と割り切って考えんといかんやろな。
で、前にも書いたかもしれないが、自分は勘違いをしていた。
試験に通ったことが喋れる人だと証明するのではない。喋れることが先で、
試験はその結果に過ぎない。翻って我が生活を振り返ると、試験以外のことで
喋る機会は、職場で少々打ち合わせをするくらいで、深い話はほとんどない。
なんで試験を受け続けているかと問われると(実際ヨメにも問われたが)、
言葉に窮してしまう。せいぜい、二回三点差で落ちて悔しいから、というのと
職場に証明を飾りたいから、くらいでしかない。我ながら、何だそら、だ。
また、なんで自分は英語をやってるのか?必要だから?仕事だから?生活のため?
本来、楽しいはずの勉強である。実際、昔は楽しかった。それが今はどうだ?
ひたすら自分に劣等感を与え続けるだけの装置と化している。ほんとにつまらん。
いやむしろ、自分はその劣等感を抱き枕にして、眠る心地よさに浸っているのではないか。
「二次を受け続けている人」、「喋れないのに英語を教えている人」、
という「望まないアイデンティティを抱いている自分」をむしろ望んでいるのではないか。
人生は短い。これでいいのか俺。
前も書いたかもしれんが、何回も言ったかもしれんが、今度こそ、今度こそ、
仕事と自分、英語と自分との関係を見直して、自分をつくり変えていきたい。
ラソン始める前は、自分がマラソンを走るなどとは想像だにできなかったが、
今やろうとしている。しかも結構楽しくやっている。同様に、できるはずだ。
その結果、自分、変わったな、と思う頃にふっと試験受けたら、ぽっと通るかもしれん。
その日まで、「試験勉強」は休むことにする。代わりに「本当の勉強」を始める。