観戦記・2013大阪マラソン。

大阪マラソン。15万人の希望者の中から、倍率5倍の抽選により
幸運を掴んだ約3万人が、銀杏色づく(そして少し臭う)水の都を駆ける。
それを迎えるは、「食い倒れ」の言葉に象徴される多彩な食文化であり、
「日本一熱い」と語られる沿道の観衆である。コースは大阪城に端を発し、
市内を縦横に巡りながら御堂筋、大阪ドーム通天閣等を経て次第に南下。
そして38km過ぎ、ただでさえ一番苦しいところに、「嫌がらせ」のように
立ちはだかる南港大橋。渡ればもうゴールは近いが、渡るのは大変の一言。
以前ここで、大阪マラソンをその南港大橋から応援したい、と確かに書いた。
http://d.hatena.ne.jp/Moulin/20130611
前の日曜日。ひとりの休日。有言実行、ということで。行ってきた。
スポーツオタクの自分だが、マラソン観戦は初めてのことであって。
勝手がわからず失敗も沢山してしまった。が非常に貴重な体験だった。
正直、舐めてた。当初は、ナンバで降りてラーメンでも食べた後(またか)
少し市内コースの様子を伺ってから、南港に向かおうと思っていたのだが。
地下鉄がナンバに着くと、マラソン観戦とおぼしき、夥しい人が乗ってくる!
こらあかん、とそのまま住之江公園まで乗り続けることに。で降りたはいいが、
今度は南港に向かうニュートラムに長蛇の列。むむう、大阪マラソン。侮れん。

いらちの自分は、列に見切りをつけ、歩けるところまで歩くことにした。
これが怪我の功名というか。沿道の雰囲気が事前に垣間見れてよかった。
いちびりの大阪人。思い思いの応援が素晴らしかった。ボードに応援旗に。
ブラスバンドで野球めいた応援をする団体もいたし、ジャズ演奏会的なものも
催されていた。道の反対側、すいている側では、ステテコを穿いたおじいさんが、
ビール片手に、家から持ってきたのであろう椅子に座って、大会を眺めていた。
なんかこう、地元に密着している感じがすごく良い。

選手とともに、南港を目指す…つもりであったが、非常に申し訳ないことに、
しんどくてニュートラムの次の駅まで来たところで、そちらに乗ってしまった。

駅の上からは、頑張る選手たちの様子が伺えた。それにしても凄い人数だ。

南港に到着。問題の橋まで歩く。やはりここが重要なポイントであるとは
周知のようで人が多い。ここでまず第一の失敗。人垣を縫うように坂を
中腹まで上がっていくと、いつの間にかコース内に紛れ込んでしまったようで。
ひとりの選手は、自分をよけつつ後ろから抜いてきて。非常に申し訳なかった。
言い訳になってしまうが、ここのところはコースの境目がわかりにくい。
自分と同様の間違いをしている人が何人もいたし、またこれが後述の問題とも
関わってゆく。大会当局にはぜひ来年以降ご検討をお願いしたい点である。
コースから退散し、ようやく沿道に落ち着いたところで、応援を開始。
おずおずと、こういうものを取り出した。汚い字で恐縮だが、作って行った。

作った当初は、我ながらうまく言ったもんだな、と悦に入っていたのだが。
第二の失敗。知らなかったのであるが、この大会にはコブクロさんが参加してて。
追っかけとおぼしき人が沿道に大挙押し寄せており、橋で流れている音楽も、
君を探してるんだー、誰かが君を待ってるんだーての?のヘビーローテだった。
そんな中で『栄光の架橋』(ゆず)というのはいかにも場違いである。恥。
昔、大学で沖縄へゼミ旅行に行った時、オリオンビールの工場を見学したのだが、
それにバドワイザーのTシャツを着て行った後輩(天然)を思い出した。
事実、おそらくコブクロさんご本人が来たと思われるときは、逃げてしまった。
しかし、述べたように、ここは沿道との境目が曖昧なので、選手でないファンが
取り巻いていたように見受けられる。ファンからすれば必死なんだろうけれど、
なんだかなー、と思った。確かに芸能人が走るのもすごいとは思うけど。
この日は、有名無名関わらず参加する全ての選手が主役である、と思うのである。
で、コブクロさんの件もあって、看板を出したり引っ込めたりしてたのだが、
そのうち、親指を突き上げてくれる兄ちゃんとか、「ありがとう!」と声を
かけてくれる姉さんとかもいて、嬉しくなって。出し続けることにした。
沢山の選手とタッチもしたり。声をかけあったり。その交流を楽しんだ。
と、ふと瞬間。坂全体の景色がスローモーションのように見えてきた。
ある人は口をゆがめ、ある人は足を気にしつつ、ある人は歌を口ずさみながら。
そしてみんなが腕をふり、汗をかき、ただひとつのゴールを目指してゆく。
皆がそれぞれの人生を抱え、それぞれの思いを秘めて、今日を迎えたのだろう。
それを眺めていると。胸がつまるような感じがして、涙が出そうになった。
しかし、スローモーションになってきたのは、そういう抒情的な問題に加え、
選手の速度自体が遅くなってきたこともある。自分はおそらくサブ4くらいの
選手からを定点観測したわけであるが、時間帯によってこんなにパターンが
違うのかと。やたら仮装の人が多い時間帯もあった。でも考えてみれば、
仮装で走ろうという人はそれだけのハンデを背負う自信のある人であって、
そこそこ走れる人なのだろう。反面、失礼ながらガチで走るまででもない。
その特性の近似から、こういう「かたまり」が出来たのでは、とみる。
そしてそのあとは、本当に申し訳ない言い方だけど、ゾンビの群れのような
時間帯となった。皆が足を引きずり、苦痛に顔をゆがめ、それでも進んでゆく。
こういう時こそ余計に応援が必要だ、と。看板をゆすり、声を張り上げた。
苦しいながらも、上がらない手を振ってくれる人もいたが。
「バカヤロ」と小声で言われたり(ツンデレ的な気もするが、ガチな気も)。
「いや、きついよ」「これって、栄光なんか?」と言われたりもした。
そして最大の失敗。この先にも「関門」があり、それより先に進むことを
許されない人もいたのだということだ。知っていたら、もっと考えたのだが。
全く、自分の不勉強を恥じるばかりである。
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もし当日記をご覧の方で、私の看板をご覧になって、特に関門の都合で気分を
害された方がいらっしゃるとするならば、本当に、本当に申し訳ないと思います。
知らないでやったこととはいえ、許されません。この場で深くお詫びします。
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帰宅後、ヨメとも話し合ったのであるが、「応援」という行為は本当に難しい。
ともすれば、上から目線ととられがちだし、応援するのはタダやけど…とか
「応援する自分」に酔っているのでは…?と言われれば言葉に窮してしまう。
ただ、本当に自分は、力になりたい、何かの役に立ちたい一心であった。
その心があっても、そのTPOというか、扱い方は考えないといけない。
それとも関わるか。この日何よりも印象に残ったのは、あまり語られない、
「マラソンのもうひとつの結末」を見てしまったことである。
自分はこの南港大橋で「最後のひとり」まで見ていた。その人は動かぬ足を引き、
もう苦悶などとうに通り越した、虚無とさえ言える表情でゆっくり歩いていた。
その後方から、のろのろと、しかも着実に、「収容バス」が迫ってくる。
どう声をかけられるだろう? 頑張れ、とはもうとても、よう言わない。
でも「もういいよ、頑張ったよ」というと、その人はおそらく終わってしまう。
自分のできることは、遠目にみつめることだけだった。それ以外に何ができよう。
係員に声を掛けられ、そしてその人は止まった。人間て、こんな透明になるんや。
と思うくらいであった。それほどその人は全てを出し尽くしたのであろう。残り5km。
華やかなゴールから離れた、この観客も少ない、他の選手もいない殺風景な道端。
それが、もうひとつのゴールである。でも自分はそれもまた称えるべき栄光と思う。
その人は少なくとも、38kmまでは来たのだ。そして自分からは歩みを止めなかった。
と言いつつ他の、途中で自ら歩みを止めた人も、それはそれで「勇気ある決断」だ。
全ての人に、全ての終わり方に栄光がある。そう信じたいし、信じている。
応援に来たはずが、数々の感動と学びを得ることができた一日であった。
いやもう、決めた。
来年走る。絶対走る。この大阪を走る。今日の恩返しは、自分が走ることで果たしたい。
しかしまあ、走る!いうても、なかなか当たらんのよなあ。当たって欲しいが。
とりあえず、自分は仕事の関係で遠征が難しいのと、2〜3月が無理なので。
秋から暮れの近畿圏。神戸、大阪、奈良と乱れ撃ちである。数撃ちゃ当たるか。