生涯スポーツの心。

ランニングの魅力については、ここで(押し売り的に)再三書いているが。
最近一番感じているのは、この歳にして初めて「スポーツをやる楽しさ」がわかった、
ということである。生まれて41回目?42回目?(植木算が昔から今も苦手)の秋は
生まれて初めての「スポーツの秋」を謳歌している。
物心ついてからずっとずっと、「自分はスポーツが苦手」という固定観念があった。
運動神経もないし、チーム内でも下手な方だし、チームも弱小で結果が出ないし。
自分は格好悪く、自分にスポーツなど似合わない、無縁だ、と思い込んでいた。
それが、である。走るのに運動神経はあまり要らない。上手下手も関係ない。
結果は人がどう思おうが、どう見ようが、自分が満足できるならいい結果だ。
歳をとっていささか図々しくなったことも手伝い、今更のパラダイム転換である。
自分で目標を設定し、それに至るプロセスを策定し、その中で自分の成長を楽しむ。
それで気分も晴れて健康になるなら一石何鳥にもなる。それがスポーツではないか。
何だかね。人生の早い段階から挫折感を味あわされるばかりの、日本の「体育」って
何だったのかと思う。まあ体育に限らず、英語でも数学でも、同じことなのだろうが。
教育に噛む者のハシクレとしては、肝に銘じなければならないことと思う。
話を戻すと、そういうわけで、走っていると、自分が選手であると同時に、監督であり
トレーナーである。多面的な自分を演じなければならない。それがまた楽しい。
最近はかなりトレーナー的自分に偏っている感じだ。
もともと、野球オタクなゆえ、ハムストリングとか、十字靭帯とか、上方肩関節唇とか、
右肘遊離軟骨とか、そういう語句に対してはテンションが上がっていた自分である。
(苦しんでいる選手が大変なのはわかっている。喜んでいるわけでは決してない)
最近悩んでいるのは、前も書いたかもだが、左足膝の外側である。いろいろ調べると、
これは左腸脛靭帯炎(いわゆるランナーズ・ニー)でほぼ間違いないところだ。
骨盤と脛を繋ぐ、長い長い靭帯で、それが走るたびに骨にあたって炎症を起こした、
ということである。そもそもあたらないようなフォームに矯正する、というのがひとつ。
それから、臀部(いわゆるオシリ←言わんでも)をよくストレッチするとよいのだと。
前足の甲をやったとき、膝の裏を伸ばすのが対策、というのも驚きであったのだが。
膝の痛みに対して、オシリをねえ…というのは新鮮な驚きで。人体の不思議さを痛感。
この痛感というのは文字通り。オシリはカッチカチやで〜いうくらい硬い。いたた。
トレーナー・ムーランの努力と、監督・ムーランのレースに向けた不安をよそに、
選手・ムーランは、日曜に向け金土はカーボローディングだあ、何食べようかな!と
脳天気甚だしく。そもそも10kmにカーボローディングがいるのか?とたしなめる前二者。