函館旅行記3・『大沼トワイライトゾーン』。

3日目は、大沼公園へ。
前日に降った強烈な雨は、JR函館本線の線路枕木を支える砂利を流してしまい、
貨物列車が脱線。大事には至らなかったが、この日は特急はじめ運休が相次ぎ、
ダイヤは大いに乱れたという。
他の不幸を喜ぶ気持ちは全くない、ということをお断りしたうえで書くが、
我々にとっては「無駄なレンタカー」が思わぬ所で役に立ってしまった形だ。
大沼公園は、大沼、小沼、じゅんさい沼の三つからなる、道南随一の景勝地

沼と、松島を思わせる小島群、背景をなす駒ヶ岳は北海道の象徴的風景であろう。
(この日は、駒ヶ岳は心の目で見る必要があった。)
20年前の修学旅行では、自分は来る機会がなかった。同級生の中には、
函館の自由時間に、特急列車でここ大沼まで来て時間を過ごした者もいたようで。
旅行後、男女仲良くカヌーを漕いでいる様子など写真で目にし、複雑な感情を
抱いたものだ。俺はT君と2shotだよ、と個人的恨みを蒸し返しても仕方ない。
ともかく、はじめての大沼公園。当時行けなかったのがついに…、としみじみ。
そのしみじみとした情感を突き破るのは、けたたましい声の大量の外国人だ。
おそらく大半が中国人(と少し韓国人)であろう外国人旅行者が、函館でも
ここでもめっちゃ多いな、と何度も思った。アジアでは「北海道旅行」が
ひとつのブームを形成しているらしいが、それをひしひしと実感した。
大量の中国人が、自転車で大沼を巡る様子は、「ここは北京か?」と錯覚した。
ちなみに江差ではひとりも外国人を観なかった。それは単に離れているからか?
大沼は、美しいのは美しいが、そういう事情で、いまいち「入り込め」なかった。

反面、小沼は人も少なく、静謐な美しさを存分に楽しめた。是非おすすめしたい。
彼らが全くこちらを顧みないのは、小さいから、と侮っているからだろうか。
来たら来たで、感動するはずだがなあ。ただ沢山来られると静謐でなくなる矛盾。

そして楽しみにしていた大沼ラン。景観と一体化するようで、興奮した。最初は。
大沼小沼と見たからもう一つの、じゅんさい沼まで走って、回って帰ってこようよ。
安直に決めたのがいけなかった。沼の周りは走りやすかったが、途中から一転、
国道5号線沿いを走らねばならなくなった。そこはヒトケタ国道。交通量は多く。
人が歩く想定もないのか、歩道なし。ダンプやトレーラーが高速度で横をかすめる。
命の危険におびえながら、排ガスに苦しみつつ、やっとのことで5号線から逃げる。
ただ、逃げたところが、道がよくわからず、さんざ迷った。長く走り疲労も増す。
「遭難」の二文字が頭をよぎった。手持ちの食糧は…、水は…、通信方法は…
ビバークして夜は寒くないか…、ヒグマなど出たら…、と発想はどんどん悪くなる。
と、なんとかわかってる道に出、胸を撫で下ろした。大沼公園で遭難、という
格好の悪い事態にならずよかった。でも侮れんよ。日比谷公園で遭難、とはまた違う。

「生還」の歓びとともに、「大沼だんご」を食す。甘みが疲れた体に染み渡る。

さらに、近くの「流山温泉」で汗を流す。これもレンタカーの恩恵(何度も言うな)
清潔感と野性味が絶妙に配合された、いい施設だ。また、お湯が素晴らしい!

帰りに、「立待岬」に寄り道。函館山がそのまま海に墜ち、切り立った崖をなしている。
夜景のロマンで有名な函館山が見せる、別の顔である。非常に怖く、厳しい顔だ。
それ見るだけで怖いが、またこの日は風がとてつもなく強く、子供なら飛びそうなくらいで。
森昌子の有名な(自分には)歌には「待って待ちわびて、立待岬の花になろうと」とあるが
とても待ってられんよ。いやだからこそ強い気持ちを持って待っている、ということか。

やはりシメは、これですな。函館ラーメンといえば、塩ラーメンらしい。美味。
「うまい塩」はなかなかないので(ごまかしがきかないから)、その分よけいに嬉しかった。
いやはや。下手したらヒグマを恐れて夜明かし、だったところが
ラーメン食って寝られる幸せよ。
その幸せを噛みしめつつ、最後の夜は更けた。