函館旅行記2・『江差、追分の流れる街』。

今回の旅は、なんとなく「レンタカー付きパック」にしてしまってて。
具体的に函館での行動を計画する段になって、「しまった」と後悔。
いつもながら、子供の頃からの無鉄砲癖が出た形であるが仕方ない。
函館は路面電車もあり公共交通機関はまずまず発達している反面、
駐車場はあまり充実しておらず、車はむしろ足枷ともなりかねない。
しかしせっかく頼んだレンタカーを無駄にするのも悔しいので、
急遽無理に捻り出したプランが「江差への遠足」。これが怪我の功名。
魅力のある街との出会いとなった。予想してなかった分、より嬉しい。
どこぞの雨女のおかげか(またか)大雨警報が発令される中、北西へ。
深い山と函館戦争の史跡を縫うように走り、二時間程のドライブで到着。

江差はその昔、近江商人が開いたという。北海道随一の伝統ある街である。
北前船の寄港地、また、ニシン漁の拠点として、かつて大いに賑わった。
その賑わいは、「江差の五月は江戸にもない」と謳われたほどであった。
街の起源のためか、また北前船が運んだか、街は関西の影響が随所にある。

神大神宮渡御祭は江差の一年のクライマックス。写真にあるような
「ヤマ」が街の中を練って進む。祇園祭や岸和田地車さながら、だ。
「ヤマ」の上には、黄門様や弁慶、楠木正成など各時代の英雄がおわす。
そのうち半沢直樹とかも登場するのかしらん。

江差追分会館」では、全国大会でチャンピオンに輝いたこともあるという
素晴らしい歌姫が、実演を見せてくれた。オープニングは『北海盆歌』。
題名はご存知ない方も多かろうが、メロディはある世代以上の日本人なら
大半が知っていよう。『8時だよ全員集合』(ドリフ)のオープニングだ。
恥ずかしながら、あれに所謂「元歌」があったとは、今回初めて知った。
そして『江差追分』。追分といえば信州の『小諸馬子唄』等が他に有名。
(これも加藤茶がよく歌ってた。てドリフから離れろ。)
何か関係あるのかな、と思っていたが、関係あるどころではないらしい。
信州の宿場で歌われていた歌が、街道を北上し日本海に出、北前船に乗って、
口から口へ伝わり、流れ流れてこの北の最果てに届いた、ということだ。
なんか、それを聞いてやたらと感動した。上方や江戸と、貴族や武士と、
いわゆる○○文化と名付けられ歴史の教科書に載っている文化がある一方、
それとは全く別系統の日本文化があるんだ、ということに興奮させられた。
その透き通るような、心に染み入るような、そして物悲しい旋律は、
心を揺さぶって仕方がなかった。日本人の心の奥底にあるものに訴えるんだろう。

感動したらおなかがすいたので、ニシンそば。昔の大商家を利用したお店にて。
もっとも、今ではニシンはあまり採れないというから、このニシンの生まれは…。
まあ、鯖の本場・小浜の焼鯖がオバマさんもとい小浜産の鯖じゃないのと同じで。
どこでも苦労しているのか。

遠足の最後は、榎本武揚土方歳三の夢を載せてこの北の大地へやってきて、
そしてこの江差の海に、その夢とともにあえなく沈んだ、開陽丸を訪れる。
しかし折からの荒天のために、早々に退散。いやはや、言葉は悪いんだが、
もう一度この船沈むんちゃうか、いうくらいの風雨で(写真の時は風だけだった)。
それでも、歴史の息吹(というか風)を存分に吸い、函館への帰路についた。
そう。この誰のせいだかの風雨は、翌日、思わぬ結果をもたらすこととなる。
と、引っ張っておいて、続きます。
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<本日の歌>
「国を離れて 蝦夷地が島に
 幾夜寝覚めの 波枕
 朝な夕なに 聞こゆるものは
 友呼ぶ鴎と 波の音」
                 『江差追分