函館旅行記1・『はるばる来たぜ函館へ』

はるばる来たぜ函館へ。
逆巻く波を乗り越えて。
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お茶漬けが食べたくなってきたな…、と今の人にはわからんネタか。
もちろん、1時間余りのフライトでひとっ飛びしてきた我々と、
津軽海峡の波と闘った末、北の大地に上陸した古人(サブチャンと読む)と、
それぞれが体験した情景と抱いた感慨を同列に並べるのはおかしいだろう。
空から見た津軽海峡と竜飛岬は青々と輝いていた。ま夏だから仕方ない。
しかし、だ。自分にとって高校の修学旅行以来20余年ぶりの函館行き。
その間には遥かな道と、数々の波があったのは確かである。また直近では、
仕事の夏特別シフト・前半戦という、越えなければならぬ狭間があった。
はるばるやってきた。自分なりの感慨はあった次第である。
…というのは表向きで、実際は感慨に浸る間もなく、朝市に急行。
結局食い気が最強である。朝市は駅前の一等地にあり、数々の名物店が
所狭しと軒を連ねていた、が。同じ場所にある似たような店であるのに、
ああして、人が並んでる店と並んでない店があるのはなんでなんでしょう。
こういう時やはり自分らも並んでいる店に並んでしまうのだが。そういう、
微妙な人の動きの集積が、結果として現れた形なのか。人気とはそんなものだ。


上は「五色丼」(ごしょくどん)、下は「活イカ」(かついか)である。
自分らは思いっきり、「ごしきどん、と、いけいか」と誤読し注文。恥。
日本語は難しいね。
 bbbbbbbbbbbんbbbbbbbbbbbbと、席外してたら猫に踏まれた模様。
腹ごなしがてら外に出ると、かつての青函連絡船が岸壁に停泊していた。
オタク根性に火がつき、ヨメを置き去り気味にそちらに向かう。そして見学。
とても我慢がー、できなかったよー、ってサブちゃんから離れろ。
鉄分を存分に吸収したが、詳細に書くとみなさんがドン引きしていくこと
請け合いなので、割愛します。それぐらいの分別はあります。て偉そうだ。

港町には欠かせない、赤レンガ倉庫。多くが、内部がリフォームされ店に。
函館きってのショッピング街を形成している。夜にはイルミネーションが瞬く。
個人的には何も無いさびれた感じの方が好きなのであるが、それも時代の流れ。

函館の象徴とも言えるロマンチックなこの風景は、悲劇が生み出したものだ。
函館はかつて、大火にみまわれ、街の大半が焼失した。坂を貫く幅広の道路は、
その後の防災対策として作られたものという。今は観光客のシャッター音が響く。
ロマンチックと言えば、自分は高校生の時、野郎二人連れでここに来たもの。
函館の市内観光は自由行動で、男女何人かずつの班にわかれたのであるが、
自分の班は所謂友達集団ではなく、個人または二・三人の小集団の集まりで。
(寄せ集め、とも言う)
まず男女どちらともなく、お互い離れてしまい(巻かれた、のかもしれない)。
で、男の「個人業主」がおそらく繁華街に皆消えて行き。気づけば自分とT君のみ。
やむなくそのT君と一緒に函館の街を観光した。ロマンチックな美しい街並みと、
少しクラスの中でアウトロー気味の男二人の取り合わせは、微妙やなあ…、と当時
思いながら歩いたものだ。もっとも当時は微妙、という言葉に今の用法はなかった。
高校の修学旅行と言えば、男女仲間で和気藹々と素晴らしい一時を過ごした!という
思い出を語る同級生は多いし、ほかの学校でも、例えばヨメなども彼ら同様なことを
言っているが。自分の思い出すものはいささか異質で。あまり喋ったことのない連れと
ぼつぼつと話しながらも、基本は黙々と歩き、黙々と写真を撮る、というものだった。
今からすれば、もっといろいろその時に深く語ればよかったのだと思うけど。
当時の自分には語るべきものもなかったし、コミュニケーション能力もなかった。
て、今もあるかわからんけど。T君はあの時を覚えているか、そしてどう感じていたか。
今度会う機会がもしあれば、とことん語らいたいところだ。
失礼、思い出に任せて、話はよれまくった。
まそこをヨメと歩いているいうのも、また感慨深いものだ。

函館で他に目につくのは、こういう「和洋折衷町家」である。(写真はイメージ、かも)
あしゅら男爵が寝そべっているような違和感があるが、て毎度伝わらない例で失礼。
時は明治、日本全国で「洋」がどんどん取り入れられた。それは函館でも同じだった。
違うのは、他地域では「和」が「洋」に置き換えられた一方で、函館にはもともと
「和」がなかった、ということである。即ち和洋が同じ新しさと価値を持っていた、と。
で、どちらも取り入れたい、という贅沢な悩みの結実が、これである。
この建物ひとつ取れば奇妙だが、この種の建物が街並みを形成していた当時では違う。
坂の上から見れば「洋」しか見えず、坂の下や近くの地面から見れば「和」しか見えない。
先人の知恵がなした業である。ってなことを高校生の時は気付かんと歩いてたなあ。
毎度ながら、少しのことにも、先達はあらまほしき事なり、だ。あと、観察力。

この日最後は、やはり夜景。どこぞの雨女のために、見えるか危ぶまれたが、何とか。
20余年前はもっとくっきりはっきり見えた記憶があり、それはそれで美しかったけど。
今回は、雨にけぶる感じが幻想的だったとも言える。ただ今回はそれに加えて、
何だか寂しい感じがした。これは雨のなせる業だったのか。それとも前より明かりが
減っているのか。盆という特殊事情のためか。不景気、街の衰退のためだろうか。
あるいは、20年の時を経た自分の、「寂しさ」に対するセンサーが磨かれたためか。
そんなことを思いながら、人ごみの中、追憶に浸った。
のは半分で、もう半分は、前に並んでいたカップルが、特に女の方がうざかったので、
それにムカついていた。「ねえねえ、もう疲れたー」彼氏に甘え声でブーたれてた。
「なにこの雨ー、もう、うざいんですけどー」お前がうざい、言うねん。黙って待て。
「寂しさ」に対するセンサーが鋭敏になる一方で、「怒り」に対するセンサーが
なくなってくれれば幸いであるのだが。残念ながら、そちらは相変わらずだ。
というわけで、今回も波乱含みの旅行記。続きもお楽しみください。
ただ、続きはいつ書くか保障できかねますので、気長にお待ちください。