『燃えよ剣』。

燃えよ剣(上) (新潮文庫)

燃えよ剣(上) (新潮文庫)

燃えよ剣(下) (新潮文庫)

燃えよ剣(下) (新潮文庫)

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読了。
燃えよ剣』。土方歳三。その名を知ったのは、中学の卒業文集で、である。
こまごまと三年間の思い出を綴るページが多い中、ある男子生徒のページに、
―――――
「俺は土方歳蔵(ママ)のように生きたい←知らない人は『燃えよ剣』を読め!!」
―――――
と大書してあった。彼とは野球部で一緒だったが、あまり話したことはなかった。
彼は真面目に練習に来ていなかった(来てた自分らも、真面目と言えた義理でない)。
しかしたまにふらっと練習試合に現れ、代打で快打をかっ飛ばしていたのを覚えている。
かの阪神川藤や漫画『あぶさん』も彷彿とさせるアウトローぶりは何とも魅力があった。
その彼が、卒業にあたって残した宣言。興味はあったのだが、暫く遠ざかってしまった。
本当に失礼な話、彼と活字の本、そして司馬遼太郎が自分の中でリンクすることがなく。
漫画か何かかなとずーっと思っていた。『燃えよ剣』。土方歳三。それらを知った時、
自分の無知と偏見が顔から火が出るほど恥ずかしくなったものである。今でも恥ずかしい。
その恥と向き合いたくなかったからか、知ってからも本を手に取ることはなかった。
彼が土方歳三ならば、燃える剣で真っ先に叩き斬られるような自分であったろう。
はじめに名を目にして以来四半世紀も経ってしまったが、今回やっと読む機会を得た。
もうすぐ同窓会があり、なんとなく文集をぱらぱら見ていたのがひとつと。
今夏は函館を訪れる予定で。函館といえば土方歳三終焉の地。これは読まねば、と。
と読んでみると、彼の言う「土方歳三のような生き方」がどんなんか、わからなくなった。
これは悪い意味でなく、あまりにも多面的な魅力を持つ人物であるがゆえに、そのどこに
特にひかれたのか、見方によってかなり違ってくるな、と。「史上最高の参謀」の部分か。
変節を頑として受け付けない部分か。芸術的とも言える仕事の部分か。不器用極まりない
(女性には特に)部分か。或いは部分としてではなく、それらの集積としての全体を、か。
許されるならば、彼と直接会って真意を語らいたい。そしてその首尾はどうだったか。
今彼の人生の「土方歳三度」は何%くらいか。そして今後は何を目指してゆくのか…
今回の同窓会には残念ながら来ないようだが、一生のうちにいつか、機会があればと思う。
しかしまあ、自分は高校の修学旅行で函館を訪れたのであるが、そして「五稜郭」も
行ったはずあるが、土方や榎本武揚には何の知識も思い入れもなく、勿体ないことをした。
夏はあの時見逃した分を取り戻す意味でも、真剣にその地を目に焼き付けたいと思う。
同窓会は今週末である。思い思われふりふられ。少ないながらもいろいろなことのあった、
わが学生時代。そのいろいろに関わった方がちらほらいらっしゃるので、どないしましょう。
自分としては、頭がぐちゃぐちゃで、気持ちのベクトルをどこに向けたらいいか悩むが。
ええい、ままよ。そんな悩みなど、土方氏に一刀両断してほしいところだ。
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<本日の言葉>
「『時が、過ぎたよ。おれたちの頭上を通りこして行ってしまった。近藤勇も、土方歳三も、
  古い時代の孤児となった』
 『ちがう』
 歳三は、目をすえた。時勢などは問題ではない。勝敗も論外である。
 男は、自分が考えている美しさのために殉ずべきだ、と歳三はいった。」
                          本作より





<おまけ>
本作では「会津編」がほとんどスルーで終わってしまうのだが、それはなんでだろうね。
作者が函館に注力したかったからか。会津を脱したあたりのくだりが書きにくかったからか。