インカ展@京都。

既に時が経ってしまったが。前の前の日曜、京都へ「お忍び」に(何様?上様?)。
京都。行く度に発見があり、行く度に昔住んでた頃の自分の目は節穴だったと痛感する。
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京都は意外な「蕎麦どころ」である。事前に調べて評判の高い店の、本店を訪れた。
が、行ってみるとそこで「蕎麦塾」なるものを開いており、食事はできないということ。
支店なら開いている、とそちらを紹介され移動した。行ってみると、本店から流れた人が
集まったからか、もう人人人、であった。外でさんざ待った挙句、中に入ってからも、
待てど暮らせど食事が出てこない。フロアに対して従業員が非常に少ないような気がした。
「主力」が「塾」の方に出払ってるんかな。また、注文聞いてから、蕎麦を打つとこから
はじめてるんかな、といろいろ自分の脳内でこの店を「弁護」した。なんで弁護せなならん。
しかし、そいう事情があるにしろこの店では何の説明もなく、店内は殺伐としたムードだった。
「次の予定がありますので、これ以上時間がかかるならもういいです」と店員に詰め寄る人も。
アクセントから判断するに、他地方から旅行に来た人だろう。旅の時間は貴重なのに可哀想。
自分らも広島行った時、お好み焼きが全く出て来ず、仲間の新幹線の時間が迫り焦りまくった。
そんな昔の悪夢を思い出した。その時もそう思ったが、「説明がない」のが一番いかんと思う。
かくかくの事情で今この状態なので、あとこれこれの時間がかかりますよ、と説明があればまだ
気持ちも落ち着くのだろうが。あとは、客をさばききれないなら入店を断る勇気も持ってほしい。
今の人気も、いずれどうなるか、だ。ま、どんな仕事にも共通することだろう。他山の石としたい。
この状態で、この店、食事後の客に「スタンプカード」とか配ってた。噴飯ならぬ噴蕎麦ものだ。
怒って詰め寄ってた人にも配ったんだろか。自分はすんません遠方なので、と丁重にお断りした。
あ、蕎麦はめちゃうまかったっす。と、フォローになってるかどうか。でもたぶんもう行かない。
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ずいぶん遅くなってしまったが本来の目的、インカ展へ。
自分の小学校の時友達で、そのお父さんが南米関係の仕事をなさっていたと思われる子がいたのだが。
その子の家を訪れると、いろんなインカの絵画やら、調度品やら、怪しげな道具やらが沢山あって。
子供心ながら非常に興味を持ち、不思議な魅力に引かれ、その子の家に行くのは楽しみだった。
(その子とは、残念ながら縁が切れてしまったが)
まさかその約20年後に、(ある意味)南米関係の女性と自分が結婚するとは、その時知る由もなかったが。
今から考えれば、そういう運命であったのだろう。運命と言えば、日本人とインカ人のルーツである。
インカ人は、その昔アジアからベーリング海峡を渡って移動した人々の末裔であるという説を聞く。
先祖をずーっと辿ってゆけば、日本人と比較的新しい時代でつながっているのかもしれない。
いきおい、親近感を感じざるを得ない。
このインカ展も「発見」の連続だった。インカと言えばまず、マチュピチュに代表される石垣である。
紙一枚入らないほどぴったり合わさった石垣。石垣フェチ(?)のヨメは食い入るように見ていた。
そんなぴったり合わさる石をどうやって作り、どうやって持って来たか?は子供の頃から不思議だった。
とても人間業とは思えない。宇宙人の助け?かとも思っていたが。答えは明白であった。
「粗いまま持って来てから、合わさるように削った」らしい。おおそうか。逆転の発想であるな。
逆転の発想と言えば、インカの部族統治法が非常に面白かった。インカでは帝の威光を見せつけるため、
金銀財宝を惜しみなく各部族に与えたと。服従すれば恩恵があるが、離反すれば、不利益であるぞ、と。
うちの2にゃん。強い方(ホセ)は、弱い方(アントニオ)に要求がある時はまず、ぺろぺろぺろぺろ
なめまわすのであるが、何だかそれを思い出した。てなんでだ。それは冗談として。
統治というと、常識な視点ではどうしても、征服する側による征服される側への搾取、と捉えがちだが。
こんなん、現代にも応用できへんのかなあ。グローバル企業のお歴々には、大いにヒントにしてほしい。
そして征服と言えば、やはりスペインによるインカ征服を抜きにしては語れない。これは難しいな。
スペインによるインカへの仕打ちに関する、数々の展示があったのだが。正視できないほどひどかった。
それに対し、スペイン人は人非人か!と憤るのは簡単である。しかし鬼畜スペイン人、謝罪せよ!と
叫ぶのは違うと思うし。さりながら、スペイン人側が、この時代の自分らを正当化するのも違うと思う。
「この時代のこういう状況なら、みんなそうする。誰だってわかる」的なことは、やはり言ったらいかん。
スペイン人も、インカ人も、日本人を含めた他の全ての地球人も、すべてがこの時代の事実を、
人類全体の「負の遺産」と受け止め、人類全体の発展のための教訓として学んでいかねばならんのでは。
この時代のスペイン人は、インカ人の一部を贔屓して、インカ人内の対立を敢えて高め、それが
インカ社会の瓦解を早めた。我々も、地球全体としての「内部」でいがみあっていたら、簡単に崩壊する。
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館を出た後は、二条城に行こうかあるいは急襲をかけようか(何処へ)とも思っていたが、
蕎麦屋でのタイムロスが響き、いい時間になってしまった。二条城を外から眺めるだけで済まし、
その後市内をぷらぷら歩きつつ、繁華街に向かった。その道すがら、堀川がきれいに整備されていたこと。
建具屋さん街があって、そこをウインドウショッピング(?)するのが楽しかったことが心に残った。
夕食は「床遊び」と洒落込みたかったが、蕎麦を食べたのが遅かったので(また言う)あまり空腹でなく。
床もやってるショットバーがあったので、そこで一杯ひっかけた。川風が気持ちよかった。
ただ、それがアペタイザーとなり、物足りなくなったので、四条まで出て、沖縄料理屋で楽しく飲んだ。
BGMがよく、ヨメはCDなど買っていた。床もいいが、自分らはこいうののほうが合っている。
素敵な出会いがあった夜は、素敵に暮れて行った。
しかし、今はここからT塚まではるばる帰らないといけないのが邪魔くさい。
また下宿しよかな(何のために)。