Wの歓喜!

といって、昨今世間一般で騒がれていた、表舞台でのそれではない。
皆が見上げる桜の花も花だが、ひそやかに咲く菫や蒲公英の花も花。
横浜DeNA中村紀洋選手、中日・谷繁元信選手が相次いで2000本安打を達成。
もしかしたら、史上初めての「同日同試合での二人達成」が見られるかも!
と一部の野球ファンの心を躍らせた。惜しくもそれは叶わなかったが、連日での
達成はそれに準ずるのでは。二人には、心からの拍手を贈りたい気持ちで一杯だ。
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中村紀洋は、実は故郷の英雄である。ヨメの実家が彼の母校の真ん前であって、
というと住所がバレてしまうかもしれないが、まあいいか。正確に彼だったかは
わからないが、よくオーバーフェンスした打球が家に飛び込んできてたらしい。
一度など、車が凹んでしまって、監督さんが謝りに来てらしたそうな。その後、
中村擁するその学校は甲子園初出場を(最初で最後かもだが)果たす。そしたら
寄付金が多く集まったかフェンスが高くなり、ボールが来ることもなくなったとか。
というわけで、うちは中村と浅からぬ縁がある、と勝手に思ってしまっている。
プロ入り後の活躍は人の知るところだが、彼ほどの波乱万丈野球人生もないのでは。
また、彼ほど強烈に人間の臭いのする野球人もいないのではないか、と断言できる。
近鉄での絶頂期。そしてFAでのぐだぐだを経て残留。ところが球団がなくなり渡米。
挫折。育成として拾われた中日での涙の復活。が「他球団の評価も…」とFAで楽天へ。
一年は活躍したが下降線。楽天を追われ、一時はバッティングセンターで練習する身に…
ネットの画像を見ていると、若い頃の金に髪を染め上げ「マタギ?」と見紛うような姿。
それと、言葉は悪いが(今までも十分悪い)「ムショ帰り」のようなしょぼくれた風貌。
そのコントラストが、中村のナイフで切れるほど濃い人生を非常に如実に物語っている。
そしてDeNAでの今回の快挙。何も「その日」にせんでもええやんか、と思ってしまった。
絶対に新聞の一面にはならへんのに。光が明るいほど、影は濃い。いかにも中村、だ。
そんなことを、何も知らない自分などは思ってしまった、が。
しかし後日の報道によると「この日しか子供が来れないので、絶対この日に決めたかった」
そうだ。1億人からの栄誉よりも、家族からの栄誉。これのみが、中村を歩ませたのだろう。
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谷繁元信は、江の川高校にいた時から注目してた。あの頃は高校生だったのに(あんたもだ)。
月日の経つのはなんと早いことか。加えて、一部の人から時々自分は「谷繁に似ている」と
言われていたので、勝手に親近感を覚えていた。てゆうか、白くて丸くて和風の顔やったら、
なんでもそうなんかいな、という感もないではないが。
谷繁が2000本ねえ…、というのは別の意味で感慨深い。捕手での達成という付加価値は勿論。
42歳4か月という最年長での達成は、まさに、こつこつ努力を積み上げてきた結晶である。
以下は、非常にオタクな話で申し訳ないが(そもそもがオタクな話)、図を見て頂きたい。
2000本安打達成者を、生涯打率を横軸、平均塁打を縦軸にプロットしたものである。
(出典:http://baseballstats2011.jp/

張本氏、王氏、イチロー氏(変な言い方だ)の突出も目を引くが、なんといっても谷繁だ。
自分はこれを見ただけでも、すこしぐっときた。てゆうのは、救いがたいオタクだろうか。
ああこの感動を伝える語彙が乏しいのがもどかしいが。オタク諸兄、わかってくれるな。
自分らオタクは、この図だけで何時間でも何夜でも飲めそうな気がするが(←アホ)。
何と言っても同世代。ますます活躍してほしい。阪神戦では、そこそこを希望するが。
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時あたかも、野球界(日米問わず)の至宝ともいえる二つの大きな大きな明るい星が、
政府と、いち新聞社によっていいように玩具にされたという、非常に悲しい事があった、
(と相変わらずヒトコト多い、非国民の自分であるが)
丁度その時に、それらの巨星とは対極にある二つの星がかすかに光った。
自分は、そちらの方に、今後の野球界の希望を少しだけ見いだした気がする。