『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

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村上春樹、待望の新刊発売!というのは、直前の深夜のニュースでようやく知った。
午前零時丁度の発売を前にしたカウントダウン。その狂騒を見るともなく見ていた。
別に今買わんでも… ハードカバーは重いし読みにくいし… 文庫出るまで待つか…
と即座に結論し、床に就いた。が眠りが思考を完全にリセットしてしまったらしい。
起きた昼間、本屋に寄る別の予定があって、全く別の雑誌を手にレジに並んでいたが、
レジ前に、あざとく「話題の新刊」が積んであって。あたかもスーパーでレジ直前にある
ガムや電池を無意識的に買ってしまうように、ついでに買ってしまった。やれやれ。
買った以上は読まねばならない。ただそこは村上春樹。ずるずる引き込まれ一気に読了。
最後は、帰りの電車で読み耽って佳境に入ってしまい、電車を降りてもやめられず。
そのまま駅に座り込んで読み通した。本作では「駅」がキーワードなのであるのが、
また皮肉で、不思議な偶然。読んだ後はバーに寄って、カティーサークで乾杯した。
おお、このなんと俗物な自分よ、と恥ずかしい限りだが、こいうふうに、俗物気取りを
演じている自分を恥ずかしがっている自分をさらに眺めるというのは、嫌いではない。
書いているうちにわかんなくなるくらいややこしいくて恐縮だが。一言でまとめると
するならば、ひねくれた変態、というだけであろう。おおそうか。
まだ出たばかりで読んでない方も多いと思うので、いつも以上にぼかして書くとするが、
おお、なんかこう、お前ちょっと早(はよ)読んだからって優越感に浸ってんちゃうんか、
とたしなめる自分にすみません私が間違っておりましたと全面降伏する自分をまたさらに
外から眺めるというのも…(もうええわ)
いい加減に本題に入ると、「昔のがいろいろ混ざった感じ」というのが第一印象だ。
最初のもどかしいほどの停滞が、途中から一転、すかすかーーーっ、と流れてゆくのは、
羊をめぐる冒険』的だ。というか、自分は『羊をめぐる冒険』を読んでいたから、
今はしんどくても、途中から絶対変わるはず、と信じて耐えることができたが、もしも
本作で初めて村上春樹を読むのだとしたら、耐えきれずほおり出してしまったかも。
村上氏的には、そのメリハリを強くしたくって、ことさら前半を重く重く書いたのだろが、
「やりすぎ」の感がないではない。特に、前半は比喩や象徴を使わず、「まんま」書いている
部分が目につき、「あら作風変わったな」と思ってしまったが。後半はいつもの「村上節」が
随所に現れ、ああ、やっぱ前半は我慢してはったんやな、と。その我慢に読者も巻き込まれる形。
あとは、おお、また出たか、という『ノルウェイの森』的要素。前半で謎をかけられた時、
たぶんそのへんが解答の鍵ちゃうんかな、と予感していたのだが。備後、もといビンゴ、だった。
加えて、錯綜する時空と、ちょっとマンガ的な隠し味には、『ねじまき鳥クロニクル』および
海辺のカフカ』を感じないではなかったが、全体的には、昔の感じに戻ったな、と思った。
ラストは、言っちまうといかんだろうから書かないが、『1Q84』を思い出したよ、というと
言っちまったことになるんだろうか(うざ)
ネタバレしまくりやんけ、とお叱りがありそうなので、いい加減にしておくが。
不思議な偶然ついでに。今また『カラマーゾフの兄弟』に何度目かの挑戦をしているのだが
(そして早々に中断) そこで読んだある話が、本作にまた出ていて驚いたのであるよ。
結論としては、「五人そろって、ゴレンジャー」て感じかな。どいう感じですか。
最後に、本作中で最も気に入った部分。これはずずいっと下に書きます。























「…なかなか悪くない、とつくるは思った。二重の意味で一人であることは、あるいは
 孤立の二重否定につながるのかもしれない。つまり異邦人である彼がここで孤立
 していることは、完全に理にかなっている。そこには何の不思議もない。
 そう考えると落ち着いた気持ちになれた。自分はまさに正しい場所にいるのだ。」