恥ずかしながら、グアム旅行記5(最終回)。

最終日。午後には発たねばならず、着替え等がややこしいので、海には入らず。
再びタモンの町にバスで移動。皆がビーチで過ごすであろう午前中。町に向かう人は
比較的少ないと見えて、すいていて快適だった。まずは毎度恒例の夫婦別行動タイム。
おばあさんは良品を買い求めに、おじいさんはを諸所を冷やかしに行きましたとさ。
この「別行動」について、いきつけの散髪屋の奥さんに話すと、信じられなーい、だと。
「海外で一人でほっぽられたら、私泣いちゃいますー」と。これ、ある意味新鮮な言葉だ。
幸か不幸か、アンデスの山が育んだ我が山の神が、そんなこと言うのは想像だにできぬ。
幸か不幸か。と二回言うなってお前。「あなたがいると買い物がしづらい」とのことで始まった
この「自由時間」ではあるが、実は自分にとっても毎回の楽しみなのである。不可欠、である。
夜に行ったハードロック・カフェやら水族館バーやら(書き忘れた)が、昼はまた別の顔だ。
博物館を巡るような気持ちでブランド店を眺め、万引き犯と間違われるかと思うぐらいの時間を、
ABCマートで商品チェックをして過ごした後、待ち合わせ場所のナナズ・カフェというレストランへ。
やはり自分が早めに到着。携帯が使えなかったので(理由は2日目の記事に詳述)ぶらぶら待った。
彼女は来るのか、という緊張感が、なんか古き良きデートを思い出した。あんま経験ないけど。
レストランの近くには、サン・ビトレスという神父の記念碑があった。イエズス会師のこの方は、
マリアナ諸島初のカトリック教会を建てるなど、キリスト教の布教と教育活動に献身したが、
自分の娘を改宗させることを拒んだ、地元部族の長によって殺害され殉教したという。
「サン」とはもちろん「聖者」の意味である。
程なくヨメが来て、レストランで昼食。「ラプラプ」という白身魚を葱生姜醤油であっさり頂いた。
巨大ステーキやハンバーガーといった、アメリカンな食事に食傷気味だったこともあってか、
(あれはあれなりに楽しんだけど)、今までの食事で一番うまい気がした。しかしこれというのは、
やはり日本人は醤油、という、海外旅行者としては敗北宣言に等しい結論になってしまうのだろか。
このラプラプ、クエやハタの仲間で、フィリピンが原産らしい。グアムでの事情は知らないが、
フィリピンではもともと恐ろしく高級な魚であったそうだ。それが養殖技術の発達によって、
なんとか庶民でも口に入るものとなった。その技術は日本人によって開発されたのだとか。
また名前が興味深い。ラプラプというのは、あのマゼランを殺害した部族長の名に由来するのだ。
フィリピンの地元部族からすれば、いわば敵を「誅殺」した「英雄」というところだろう。
そのマゼランはこのグアム島にも立ち寄ったという。マゼラン側の言によると、非友好的な原住民は
あろうことか我が船に忍び込み物品を盗むに至ったので、軍隊を送って「制圧」した、とあるらしい。
一方地元民の言では、餓死寸前で漂着した異国人を情けをもって助けたのに、彼らはもらうばかりで、
ひとつも与えてくれない。ゆえに「対価」を頂戴しに上がったが、彼らは逆ギレた、と伝えられる。
「聖者」と「英雄」。「殉教」と「誅殺」。なにが正しくてなにが間違っているか。むむむ。
その聖者の像と、その英雄の名を冠する魚が、隣同士にあるのも、何か運命のいたずらめいている。
そしてそのレストランは、今アメリカにあり、日本人客がほとんどで、日本人向けの味付けを供す。
なんなんだこれは!わけがわからないよ!
旅の最後にして、がつんと頭を殴られたような感覚に陥った。
飛行機は日本についた。空港はすっかりお正月の飾りつけで。うわー、お正月だあ、と大感動。
クリスマスの南国からいきなり戻って来た身としては、冷気も手伝い、凛とした空気が新鮮だった。
背筋が伸びるほど凛としたなかにも、温かく息づく祝賀の雰囲気、人々の笑顔。
これが日本であり、これが日本の歴史である、と、結論付けるのは早いかもしれんけど、
答えの手掛かりはありそうな気がした。
*****
「恥ずかしいけれど、帰って参りました」
横井庄一氏は、グアムでの長い長い長い、28年にわたる「戦い」を終えられて日本に帰ってきた。
それは約40年前。自分が生まれた年のことであった。今回の訪問は、そういう縁もあったのだろう。
ただ今回は、余裕がなく、氏の足跡をあまりたどることができなかったのが残念である。
誰にも知られない数十年と、誰からも知られてしまったそれからの数十年と。どっちが嫌だろうか。
そんな「究極の選択」をたった一人の男に強いてしまったものとは、なんなのだろうか。
また、その男に、露命を必死でつなぎつつ守ろうとさせたものは、なんなのだろうか。
自分に問いかけれども、自分には経験も勉強も不足していて、答えは出ない。それが本当に恥ずかしい。
その答えは、また次の旅に託すとする。
それは実際の旅でもあるし、実生活や勉学の中の旅、でもある。
(完)
・・・・
オチはないんかい!、と自分でも思うのが関西人のいけないところですが、
どうしても思いつきませんでした。失礼いたします。て、こんなん書くのも関西人のいかんところ。