ベトナム・ハノイ珍道中最終回「さよならは言わない」。

微妙な「ハロン湾ツアー」ではあったが、いいこともあった。
ガイドさんの話は面白く、いろいろな裏話も楽しめた。また有益な情報もくれた。
「次の日に『ホーチミン廟』に行くのだが」と告げると、朝一で行かねばならないとか、
タクシーで行った方がいいとか。タクシーは流しでなく必ず呼んでもらえとか、教示された。
ただ帰りなど、どうしても流しを捕まえないといけない時は、よくよく吟味せよ、とも。
必ず「ハノイタクシー」か「マイリンタクシー」のどっちかにしなさい、ということである。
(注:2012年8月18日時点の伝聞での話です。筆者は結果に責任を負いませんので悪しからず。)
その後道行くタクシーを指差して「アア、アレハダメ」「アレモダメ」「アレハモウ、最悪」と
いちいち指摘するのが面白かった。個人的な恨みがあるのか?というほどであった。

そして翌朝、朝からのスコール(?)のため出遅れたが、なんとかホーチミン廟に到着。
既に長蛇の列が。この日は日曜ということで、特に人出がすごくなるだろう、ということは
ガイドさんから聞いていた。修学旅行生と(?)と思しき学生さんが多いように見えた。
話はそれるが、ベトナムの学生さんは男女みんな白いシャツに赤いネッカチーフをしてて、可愛い。
でも、別の時に学校の前を通ったら、男子学生は学校を出るやネッカチーフをスルリと外してた。
照れくさいというか、微妙な反抗心なんかなあ。自分も中学生のくらいの時、校門を出るとすぐ、
被ってる帽子を取ったり、制服の前のホックを外したりしとったなあ、と微笑ましく思い出す。
ともかく、ここホーチミン廟は、ベトナム国民にとって特別すぎるほど特別な場所らしい。
廟内に入ると、かのホーチミンの亡骸が。亡骸はさすがに見慣れない。何とも言えぬ気持ちに。
亡骸を取り巻く通路は、内側が一段高くなっていた。「こども用通路」ということらしい。
入館前は少々騒がしかった幼児が、すっかり神妙になりそこをヨチヨチ行く姿が、印象的だった。
子供ながらに、ただならぬ雰囲気を感じるのだろう。その幼心には何が刷り込まれたのだろう。
その後はタイコさんもといタイ湖周辺の、他の史跡を観光。

ホーチミンが執政中暮らしていた家。質素な内装と緑溢れた周囲は、故人の性格を偲ばせる。
前には軍人さん(たぶん)が仁王立っている。運よく、丁度その交代式を見ることができた。
厳粛に式を執り行った後、替って仁王立ちを始めた相手を、今まで務めてて解放された方の軍人が、
何とか笑わそうとでもしていたのか、しきりに絡んでいじっていた。何だこのユルさは。

文廟。1070年に孔子を祭るために建てられた。かつてはベトナム最古の大学が境内に建てられ、
数々の名士を輩出。今境内にある石碑には、300年間にわたる科挙試験の合格者名が刻まれている。
その区域は立入禁止のはずが、行くとおじいさんを中心とするグループが中に入り、石碑を指して
騒いでいた。ご先祖様の名前を探しに来た、ということなのだろうか。歴史は今に繋がっている。

世界遺産タンロン遺跡(旧ハノイ城跡)。タンロンとは昇竜のこと。昇竜こそハノイの象徴。
歴史を感じさせる佇まいも印象的だったが、ここでもなんか、「撮影会」みたいなことしており、
モデルの女の子のブリブリ全開ポーズが、より強烈に頭に残ってしまった。

タンロン遺跡から軍事歴史博物館を望む。今回は行けずじまいで、残念。

タイコさんもとい(しつこい)タイ湖。ホアンキエム湖とはまた、雰囲気が全然違う。
次回はこの辺にも泊まってみたいなあ。
その後、いったんホテルに戻るべく、仕方なく流しのタクシーを捕まえようとするが…、
言われていた「ハノイタクシー」と「マイリンタクシー」がなかなか来ない。来ても乗車中、だ。
「アレダメ」「アレモダメ」と言われていた他のんは、ウヨウヨ寄ってくるのであるが。
疑ってかかるのも悪いし悲しいんだけど、やはりリスクは避けたいし、と思ったのがひとつ。
そして、安全でいい仕事する「ハノイ」「マイリン」はやはり人気があるのだろう。その人気をみて、
他のやつらは何も感じないんだろうか。「信用を高めたらお客が増える」てシステムがなんで、
機能しないのだろう。「知らない人を騙してたら適当に儲かる」システムがまだまだ厳然として
存在しちゃってるからだろうな。ベトナムのタクシーに限らず、資本主義全体が抱える問題かなあ。
なんとかめでたく、「まごころのマイリンタクシー」を見つけて、無事帰還。

ホテル前の路地では、犬がお出迎え。もうすっかり、懐かしくさえなってしまった景色だ。
休んだ後、ヨメの希望で自由行動に。おじいさんは街にぶらつきに、おばあさんは店に買い物に。
ふらふら歩いていると、相変わらず、シクロ(自転車タクシー的なもの)やバイクタクシーの
オッサンが声をかけてくる。「オーイ!」と呼ばれる。最初は、何て馴れ馴れしい!と憤ったが、
「オーイ」は、「すみませーん」ということらしい。それがわかると、なんか微笑ましくなる。
もう彼らともお別れだ、周りがそんな干渉してこない日本に帰るんだ、と思うとしんみりする。
でも、乗ったらあかんあかん。まあ、こんなカタクナなんも嫌やねんけどね。仕方ない。

最後のシメは、旧市街きっての名店という「ダックキム」に。店内は地元民でごった返していた。
そうめんみたいな麵(実際は米麵)と、皿いっぱいの野菜、それから牛肉とハンバーグみたいのの
あぶり焼きがドンドンドン!と出される。それらを合わせて器に取り、薬味たっぷりのスープを
かけて食す。すっきりと酸味の効いた味が、疲れた胃腸に浸み渡る。薬味は青パパイヤらしい。
自分的には、ハンバーグ的なものがヒットだった。オプションの揚げ春巻きも絶品だ。
ハノイに行かれる方には是非おすすめしたい。ただ、地元民の集まる雰囲気を恐怖される方、
衛生面を気にされる方、特に「野菜と麵の使い回し」を怪しまれる方、は除きます。
自分も一瞬?と思ったけど、ま、疑ってかかるばかりでは面白くない。さっきと言ってること違うね。
食うことに関しては、リスクもどこへやら、の自分に苦笑である。
帰りは、空港までのタクシーを呼んでもらった。会社はあの二社ではなかった。ホテルクラークは、
料金は25万ドンですよ、と紙に書いて渡してくれていた。
このタクシーがまた、すごいスピードで、すごい運転だった。「もうダメだぶつかる!」と
目を閉じた瞬間は、片手で足りないほどだった。全く最後まで、危険運転からは解放してくれない。
また、もうひとつ気になったのは、メーターがガンガンガンガン上がっていたことである。
手持ちのドンをタクシー代以外は使いきっていたので、だんだん肝臓が冷たくなってきた。
35万ドンを超え40万ドンに近くなった時点で、ヨメが耳打ちしてきた。
「空港着いたら、先に車から降りて、スーツケース出してもらってから、支払い、ね。」
なるほど、料金交渉でもめると、車から出してくれないとか、荷物持ち去り、とかあるらしい。
果たして、空港に着くと、打ち合わせの通りにした。支払いの段では、ホテルクラークの書いた紙を
水戸黄門の印籠ばりに見せ、25万ドンをすばやく手渡した。運転手は何も言わず受け取り、去った。
これも、ホテルと先に話ついてたんかもしれんけど。運転手的には40万ドンとかを求めるつもりは、
全くなかったんかもしれんけど。人を怪しむのは気分悪いが。でも恐怖は恐怖だから、仕方ない。
旅行は終わった、が、宿題の多い旅行であった。ハロン湾はじめ、また行ってみたい場所は多い。
また、地元の人や彼らとのやりとりを、恐れすぎず安心もしすぎずというバランスをもって楽しみたい。
そのためには、やっぱ言葉をもっと知らないかんのやろうかなあ。何事も勉強、勉強、だ。
あと個人的には、今回「も」、ヨメに頼ったりすがったり、となってしまったので。その点は悔しい。
もう少しサバイバル術を身につけたい。「ホワイト・ダメ人間」とか言われているようでは、まだまだ。
というわけで、また来るよ、ベトナムハノイ。さよならは言わない。
ただ、ハライタには丁重にさよならを申し上げたい。
ならば食のリスクは冒せないか、ぬぬう…
<完>