気ままに二人旅「亀岡→保津川下り」。


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「蘭丸!蘭丸はおらぬか!」
「は、これに」
「何ともこれは騒々しい、いかがした!」
「敵襲にございます! 寺は既に四方、取り巻かれておるやに…」
「敵… じゃと? して、そは誰ぞ? その旗印は…」
「き、桔梗の紋にございます…」
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長い前フリで申し訳ない限り。明智光秀のお膝元、亀岡を訪れた。
子供の頃は、明智光秀なぞ人非人の極みとしか思っておらず、大嫌いだったが。
大人になると「あの人もあの人で大変だった」と見方が変わって来た。今では大好きな部類だ。
事実ここ亀岡、かつての亀山では、名君で通っていたらしいし、それは今もそうかもしれない。
そしてかの本能寺の変の「スタート地点」であった亀山城は、是非訪れたかった。
が。
訪れてみて驚く。なんとお城は、とある宗教の施設となっていた。本能寺の変の信長級のびっくり。
しかしせっかくなので、おそるおそる入り、中の人に聞くと、どうぞどうぞ、見てって下さい、と。
本当の中の中は、今では「神域」になっており入れないが、大体の雰囲気はうかがえた気がする。
その「神格化」が効いてるのか、すごい荘厳な気がした。拝殿みたいのもあって、少し冷やかしたが、
置いてたパンフレットに、「おおそうだ、…」なんたらかんたら、と大書してあって、
ヨメともどもまたびっくり。びっくりの連続に、逃げるようにこの場を後にした。
その後、市内をしばし散策。落ち着いた、古風な町並みには好感が持てた。

こんな「大昔の光景」も見受けられた。蛇足。

その後、いよいよ本日のメインイベント、保津川下りへ。自分は十数年前に一回経験があったが、
ヨメは初めてということ。自分も昔のことで、記憶が曖昧であったので、初めてと言っても良かった。
まず、乗り場が非常にきれいになってて驚いた。創業四百年というが、頑張ったはるんやなあ。

いよいよスタート、屈強で紳士的な船頭さんに脱帽。
頑張ったはると一口に言ってしまったが、船を漕ぐこと自体に頑張ったはるのもそうだが、
それ以前の、コース整備からして、様々な工夫や努力がなされているそうな。ひたすら感服した。
特に、先の集中豪雨では、そのコースが乱れてしまい、運休に追い込まれてしまったそうだが、
川の石を、川の中に入って除いていくことから始め、なんとか二日前に再開することができたそう。
コース整備の努力は、今なお続いていて、途中その場面にも遭遇した。全く頭が下がる。

日もだいぶ降りてきたので、屋根をとっぱらってくれた。もとい、乗客全員が一致協力して、
作業した。開放感アップとともに、ご機嫌もアップ。

売店船」が横付けされる。そいや、こういうのあった。記憶は間違ってなかった。

嵐山に到着、「クルー」に別れを告げる。
この後船はトラックで上流に運ばれるとか。
紅葉の時期はとてつもなく混雑するそうだが。
夏の保津川、夏の嵐山も捨てたものではない。