オリンピックの顔と顔。

ロンドンオリンピック
開会式前のサッカー試合が始まってからを考えると、既に一週間が過ぎた。
通常業務に著しく支障を来たしながらも、スポーツ観戦オタクとしてはやはり見逃せない。
向こうでも熱い戦いが繰り広げられているが、こちらも時差や眠気と激しく戦っている。
男女サッカーの健闘や、内村の美技は記憶に鮮やかなところだが、それに加えて、ムなりの視点。
まず、開会式。よかったのではないかと思う。誰が、どうやって聖火をつけるかが毎回注目だが、
弓矢があったり、坂を登ったり、前回に至っては空飛んだり。もうネタが出尽くした感があるが、
毎回かしこい人はいるようで、よう思いつくわな。今回の「国の数だけ花弁を集めて…」というのは
は意外性、メッセージ性といい、非常によかったと思う。有名人に火をつけさせるだけが芸じゃない。
ほぼ滞りなく進んだ式の中で唯一「おや」と思ったのが、ポール様の歌い出しだって、大丈夫か?
と思わせたが。あれは、「口パク」の要請にポール様が反抗した結果、音声と肉声がかぶったから、
というのが理由だったらしい。形をしっかり作って、それを壊すところに芸術が生まれるというが、
その意味でも非常に面白かった。同じ口パクでも、前回と話題のなり方が違う。さすが、と思わせた。
ただ、競技に入ってからは、物議を醸すことがいくつか出てきた。まずは混乱の続く柔道だ。
あのジュリーいうのがよくわからん。なんかもう「勝手にしやがれ」という感じだ(ジュリー違)。
ああなったらもう審判いらんやん。そうでなくても、細かいポイント設定とか、ゴールデンゴール
ようわからんけど、突然不可解に終わってしまう延長戦とか。一本取ってこそ真の柔道ぢゃ。
有効だのポイントだの、せせこましっくて、恥ずかしいぢゃ。と思う自分はYAWARA!の読み過ぎか。
一本軽視もそうだけど、どうも特に世界の選手は「柔の道」というものをわかってないようだ。
派手なガッツポーズにアピールに満面笑顔。試合に当たっての厳粛な思いや、敗者への労りは皆無だ。
あまつさえ、中矢選手を破ったロシア選手はひどかった。試合後、横たわる中矢選手に馬乗りになり、
十字架のポーズで挑発(のように自分には見えた)。非紳士的行為の極みで、失格にしてもいいほどだと
自分は思ったが、あまりそいう議論にはなってない。なんでだろう。見てなかったんかなマスコミ。
勝てばいいというものではない。スポーツには、こと「道」と名のつくものには他の価値もある。
議論といえば、議論になってるのは、サッカーとバトミントンの予選のありかたである。
新聞では、南ア戦において引き分けで二位通過を「意図的に」決めた「なでしこJapan」に対し、
「スポーツマン精神に反する」と痛烈に批判をしていたが、これはなんで騒いでいるのかがわからない。
W杯にしろユーロにしろ、試合をコントロールして相手を選ぶことは、サッカーではよくあることでは。
ま、あまり日本がそういう立場になったことがないから、そういう精神論的批判がでてくるのかな。
多くの選手が「敗退行為」のために失格となったバトミントンと並べて議論する向きもあるが、
あれは競技として成り立ってなかったからなあ。サッカーで言えば、延々とオウンゴールを繰り返して
いるみたいなもんで。あっこまで行くと問題だが、サッカーでは競技はきちんとしていた気がする。
何かが悪いとすれば、選手監督よりむしろ、システムが悪い。例えば、一位通過した国(チーム)から
順番に有利なポジションを選べるようにする、というように、皆が全試合全力を尽くすような工夫を
したらいいのではないか。何でもバトミントンでは、予選リーグをするのが今回初めてだったそうで。
初めてのことなので、関係者も慣れていず、そいう「不慣れ」が故の事態が起こってしまったのでは。
それとは別に、要は最後に勝てばいいのである。そのプロセスの上で今の試合を勝たない、ということが
最善ならば、それもありではないのだろうか、と自分は思う。
と、自分はさっきと全然違うことを言っている気がするが。違う競技に対し、別の顔を見せてる自分だ。
ま競技もいろいろ、選手もいろいろ。それがオリンピック。無理矢理なまとめやな。