Facebookを使ってみて。

すみません。こちらの更新がすっかり、滞ってしまっております。
別にFacebookに完全移行したということでも、ブログの更新が滞ってしまうほど
Facebookにのめりこんでいる、というわけでもないのですが。いろいろ多忙でして、ハイ。
で、そのFacebookでありますが。使い始めて二週間とそこらたってます。
当然のことながら、いい面と悪い面の両方を感じております。何事についてもそうなのでしょうが。
まずは、もし始めなければ永遠に忘れていたであろうような懐かしい、気持ち温まる人の名を見つけ、
そのうちの何人かとは再び交流を持てたのはよかった。これぞFacebookの最大の利点であるのかな?
また、そういう人々の活動や考え方、嗜好は新鮮であり、時に自分には今まで考えもしなかったような
ことを知ることもあって、それが非常に刺激的でもある。また、自分も新鮮で面白い見方を皆に
提供したいと思って、題材を探そうとする。それがまた生活にハリのようなものを与えてくれる。
そして、紹介したものに、いいね!と反応してくれるのがよい。いいね!嫌い、とか言ってたくせに。
実は職場の同僚でFacebookやってる人と話をしてて、「俺、あの『いいね!』いうのが許せん!」
とブチまけてたら、「でも、あれがあるからポジティブなこと書こう、思うじゃあないですか」
と諭された。ずっと年下の同僚であるが、すごい教えだ。やべえ、ぐっときた、という感じだ。
ただ、なかなか自分では「いいね!」を襲う、もとい押そうというのができない。押すのと押さないのと、
差別はいかんと思うが、全部に押すわけにはいかんではないか。その線引きが難しいのであるよ。
そして「いいね!」押すと、他の人のページに自分が出てしまうのがこっぱずかしいのもある。
これって、おかしい感覚なのかな。その辺のことも、おいおい慣れて行くのだろうか。
マイナス面としては、やはり予想されていたことながら、見た瞬間に、全身の血が逆流したり、
穴を掘って入りたくなったり、果ては皺腹かっさばきたくなってしてしまうような人や団体の名を、
見てしまうこともあることだな。また述べたように、いろんな懐かしい人の近況は、刺激的だが、
その刺激が時に自分には強すぎることもある。時にねたみパンダと化して、いじいじと悩んだり。
俺もああなってたんかなあ、こうなるべきやったんやけどなあ、と、ありもしない妄想に浸ったり。
でもま、それらの、今まで記憶の奥底に、なかったことにして封じ込めていた、古文書のようなものを、
この際天日にガンガン虫干しして、整理しておくいうのも、自分にとってはええことなんかもしらん。
というわけで、その辺も含めて前向きに、取り組ませてもらっている。
といって、あまりのめり込むのもあかんか。Facebookの合間に生活してるような人にならんとも限らん。
また、ここの更新が滞るのも残念やしね(やはりFacebookが原因かいな)。
繰り返し、読者の皆様にお願いします。是非ともFacebookの方でも、宜しくお付き合いのほどを。
ただし、Facebookの方では当ブログのことはくれぐれもご内密に。
「一方通行」にご協力をお願いいたします。て、なんでやねん。