涙雨ひとりハイク「JR尼崎駅付近」。

先週の火曜のことである。気分転換に、歩こうと思った。
山にでも行きたいところだったが、天気予報が悪かったので、街歩きにした。
近いようで、あまり行ったことのない、尼崎、いわゆる尼(言わんでも)を選んだ。
JR尼崎から、ぼーっと、近松門左衛門の墓を目指そうと思ったが、あまり何も考えず、
やたらめったら無茶苦茶にそっちの方に歩いた。近代的な商業ビルを縫うように通ると、
ほどなくしていきなり生活ゾーンに入る。民家やアパートの軒先を過ぎ、路地を抜け、
洗濯物が堂々と干してるのやら、デイサービスかなんかの施設でお年寄りがなんだかの
レクリエーションをしてるのやらを、目のやり場に困りながら進む。平日昼間にこういうとこ
歩いていると、思い切り不審者のようで、微妙である。しかしま、何かああ、生活だなあ、
生きてるなあ、という実感が湧いてきた気がせんでもない。

だいぶと歩いたのだが、勘がよかったのか導かれたのか、無事目的地には到着した。
で、近松門左衛門の墓に参った後、隣接の資料館に入ろうと思ったが、正面は閉まってた。
なんでも平日?は裏口?から入らねばならぬそう。客は自分ひとりだけで、真っ暗だったのを
わざわざ電気をつけてくれた。この寂寥感は、近松もびっくり、という感じであろう。
しかし資料見るまでは気付かなかったが、思い出した。近松と言えば「心中もの」ではないか。
なんで俺はこんなもの見に来たんだろう。皆目見当がつかないのであるが。
深層心理がここまで導いたか。あるいは近松さんが「バカな真似はよせ」と教えるためであるか。
いやま、わりかし大丈夫やねんけどね。

別の道で引返す途中、バッティングセンターを発見。ほう!しばらく行ってへんなあ!
せっかくなので、30スイングほど試し打ち。ヒット性の当たりは3本くらいか。1割であるよ。
これでは、プロ選手に野次る資格は全くないなあ(苦笑)。ちなみにこのセンターはなんだか、
T岡田選手ゆかりの地であるらしく、それを思わせるものがいくつかあった。よくわからんけど。
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その後、だいぶと行くかどうか迷ったが、脱線事故の現場に向かう。鉄道を愛する者として、
時として鉄道が底知れぬ悲劇を生みだすことがあること。それを肝に銘じ、犠牲者に哀悼の意を表したい。
そう思った。が、近づいてくると激しく後悔した。マンション近くの諸所に警備員?の方が立っておられ、
その皆が自分に深々と頭を下げてくる。やはりここは無関係な者が土足で、しかも手ぶらで訪れる
ところではないのではないか。ゆえに献花台まではよういかず、遠くから手をあわすにとどめた。
そっから、尼崎の市場を通り抜け、JRの駅へ戻ろうと思った。空はにわかにかき曇り、雷鳴がとどろく。
ざあっと激しい雨が降って来た。なんやしらん、すごく、涙が出てきた。何でかは、全くわからん。
犠牲者への哀悼、てのもあったんだろが。自分は何しに行ったんや?冷やかし?見たかったから?
そいう自責の念もあった。ま、昨今の自分の状況もあるし、感情のコントロールがうまくいかんかった、
ということもあるんだろう。ついでで恐縮だが、その分も涙に流しといた。少し傘を緩め、
顔に雨があたったことにして、誤魔化した。誤魔化しが十分説得力あるほど、雨は激しかった。
いうても、このままJRに乗るわけにはいかんので、そのまま阪神尼崎まで南下し、しばらく顔を乾かした。
すると、なつかしいホールがあった。昔中学入試の時、塾の合格祝賀会の会場だった。あんな時もあった。
また、そのほんの近くには、かつて自分がしょっぴかれ、取り調べを受けたことがある警察があった。
へえ!こんなとこにあったんだあ。いやあ、懐かしいなあ!っておい!
言い訳するわけではないが、自分が罪を犯したわけではない。当時の友人がある事情でしょっぴかれて、
参考人」みたいな感じで話を聞かれただけである(そして友人も一晩お世話になっただけであるが)。
ちなみに「カツ丼」は出なかった。しかしタバコはもらった。警察は別段怖くはなかったが、
「あと十分で交代やったのに…」「やだねったらやだね」とこぼしていたのが微妙にツボに入った。
あれも、あん時はもうこの世の終わりみたいな気分やったけど、ま、今では笑い話で、貴重な体験やなあ。
ま、人間に起こること、何でもそやないかな。たぶん。
(もちろん、そうはすまされない惨事は確かにあるが)
そっからは、バス一本で帰宅。長いことバスに揺られながら、いろいろ思い出していた。