「あの日」。


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すみません、一日遅れになってしまいましたが。
366日前、いや、今年は閏年だったか。367日前の「あの日」の自分を書くとする。
「あの日」の午前中自分は、さる場所の待合室で、時間を持て余していた。
あらかじめことわっておくが、以下は本当の話である。
そこの本棚に、『その時歴史が動いた』という漫画本があったので、何気なく手に取った。
いろいろな人が扱われていた中で、「濱口梧陵(儀兵衛)」という人の話が出てきた。
(参考)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%B1%E5%8F%A3%E6%A2%A7%E9%99%B5
紀伊国広村(現・和歌山県有田郡広川町)が江戸は安政の昔、津波に見舞われたのだとか。
夜のことで、周囲は漆黒の闇。彼はとっさの機転で、村一番の高所に火をともした。
それを目印に、村人は避難し、また波にさらわれた者も岸まで泳ぐことができたという。
彼がもっとすごいのは、これからで。防災の必要を痛感した彼は、私財をなげうって
村に堤防を築き始める。数々の挫折を経たが、村人の協力も得たうえ、堤防は完成した。
「住民百世の安堵を図る」彼の夢の形であった。うろ覚えだが、こんな話だったか。
自分は不勉強にして、それまで濱口氏のことを知らなかったが、おおそうか、と感動した。
ただその時点では、「おおそうか」というにすぎなかった。数時間後の惨劇は、知る由もない。
一生涯忘れられない、忘れてはいけない、その人物とエピソードとはなってしまった。
昼から、ヨメと連れだって、近所の寺院に行った。そこの梅林の梅が、見頃であると聞いていた。
それが冒頭の写真である。心情的になかなか今まで見ることのできなかった写真なのだが、
プロパティを確認すると、「約30分前」であった。梅の美しさと、バックの空の抜けるような青。
それがあまりにも、哀しい。
そして二人で寺院の方へ行って参拝した。今から思えばこの辺が「その時」。
そこでヨメと別れ、自分は職場へ向かった。いつもの習慣で、一駅分向こうの駅まで歩いた。
その道すがら、すれ違う奥様方が、「怖いねえ」「うちも屋根を直しとかないと」と話すのが聞こえた。
その時は、その数日前に起こった地震のことを言っているのだと思った。そして駅に着いた。が。
駅や電車の中でも、学童が皆地震の話をしていた。もしや、と慌てて携帯ニュースをチェックした。
それが自分にとっての「第一報」だった。行きつけの掲示板等で「東北の皆さん大丈夫ですかー!」
とも書き込みがあり、おぼろげながら、何やらえらいことになっているみたいだ、と悟り始めた。
しかしまだ自分の中のイメージは、おぼろげにすぎず、普通に職場に向かい、普通に仕事を始めた。
何件か「今日はあるんですか?」という電話がかかってきたが、「ありますよ」と普通に返していた。
昼間読んだ本のこともあるので、津波がやばいかも、と一瞬頭によぎったが。それも一瞬のことだった。
同僚の中には、「揺れてたね」「めまいがした」「年のせいかと思った」と話している者もいたが、
状況の深刻さを把握している者はいなかった。その後も仕事は普通に進み、普通に終わり。
たまたま同僚の一人の送別会だったので、一杯やって帰った。帰った後で、テレビを観て愕然とした。
すみません。本当に怖い思いをした、或いは悲劇に見舞われた(そして今なおそれが続いている)
東日本の方がもしこれをお読みになったら、あまりの呑気さに気分を害されるかもしれない。
今回の震災に関し、東日本と西日本の「温度差」が度々言われるが、その原因がこの辺にあるのだと、
把握して頂くためにでもなろうかと、敢えて書かせて頂いた次第である。
非科学的なことを書いてしまうが、今にして思えば、「サイン」は出ていたのでないかと思う。
それが人の役に何も立たなかったのが悔やまれる。出来ることなら、あの日の昼の海辺で、叫び回りたい。
また「参拝」と「その時」の関係に関しては、神も仏もほんと、あったもんではないと思う一方、
その時祈願した「家族の健康と平和」が、こんな形で叶えられたのだとしたら、複雑極まりない気持ちだ。
何もなかったことに感謝する自分。また慙愧する自分。結局自分のことしか祈ってなかった自分への後悔…
我々西日本の人間は、幸いにして普通に暮らせている(電力の問題はあるのだろうけど)。
その普通さを感謝せねばいけない一方で、意識的に心を熱く保たないと、すぐにぬるくなってしまうだろう。
正直、「あの日」が近づいてきたから思い出したように、こんなこと書いているような自分である。
ともすると、忘れてしまいがちだ。あるいは、意識的に、頭からなくそうとさえしているかもしれない。
しかし先日現地に行ったヨメにも聞いたが、正直復興からは程遠いそうだ。何もしていない、できていない、
そいう自分には悔いるばかりだが、これからなんぼでも、できることはあるし、やらないかんと思う。
濱口梧陵の言葉ではないけど、百年二百年のスパンで考えないかんのでは、と思う。
梅の花に、春を忘れるなと言ってたなんだかの歌ではないけど。梅の花を見るたび、思い出さないかんと思う。
「あの日」。