『愛しのローズマリー』。

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CSを雑品愚もといザッピングしていたところ、たまたまやっていた。
観るともなしに観ていたのであるが、面白くてぐいぐい引き込まれてしまった。
ちょっとこれ笑えんやろと、ちょいびきの場面もあったけど、基本はコメディ映画だ。
最初は楽しくわははと笑って観ていたのだが、なんや途中から涙で頬がぐしょっり…
ええい、ちきしょう。なんでよ。
おとぎ話のような展開だし、中盤からラストにかけても非常に分かりやすいのではあるが。
そんな中なんやしらん、人間と言うものの、また自分の業の深さをまざまざと観る言うか。
浅井だけど、業は深いの、じゃないや(何)。浅そうで、実に深い映画というか。
結論として、「おもしろうて、やがて悲しき、映画かな」、ちう感じかなあ…
でもま、基本は面白かった。けど、万人にはすすめられんかな。怒る人とかもいるかも。
以下はネタバレ感想っす。







外見ばかり見て、いわゆる美女のケツを追いかけてまくってたおちゃらけ男。
そんな男が、ある日催眠術にかけられ、美人が美人でなく、美人でない人が美人に見えるようになる。
ただ男は自分が催眠術にかけられているとは気付かない。その日からナンパは百発百中。夢のような生活。
そんな中、彼は「運命の人」に出会う。絶世の美女で「ありながら」、美しい心を持つローズマリーだ…
て、ネタバレ上等の方に、筋を説明してもしょうがなかったですか。失礼。それでは感想に。
外見の良くない人は優しい、逆もまた真、なる人間像があまりにも単純すぎる、という人もいようし、
障害者や顔に大けがをした人を「外見の良くない人」に入れることが許せない、という人もいよう。
ここがこの映画の難しいところである。が反面、キモであるところとも言えよう。
作中にはその筋書き上、「はかなげで、自信なさ気な(アメリカ人の←ポイント)美女」とか、
「イケイケの障害者」とかが出てくるのだが。確かに、偏見に基づいているといえばそうだし、
茶化してると言われても仕方がないかも。ただ、我々自身、偏見とそれに基づいた価値観に縛られ、
それから逃れられてない、その悲しさを如実に表していると思う。いかにも痛々しい問題提起だが、
監督は、そのあえて意識的に「痛さ」を敢えて見せつけ、我々に問うているのだ。と思う。
個人的な話だが、自分も「外見の壁」を乗り越えられなかったこともあるし、逆にそれに阻まれた
(のであろう)こともある。その両方の視点からの様々な思いが一気に噴き出してしまった。
美は、そして美を感じる心は、時として、人間の心を狭い檻に閉じ込め、ひたすら苛むのである。
それを愚かと言うのは簡単だが、でもどうしようもないこともある。それが、悲しくてならない。
作中、主人公の「催眠術」を解くか解くまいかが問題となる場面があるのだが、また考えさせられた。
「現実」が見えていない他は完璧な人生だった(と思われる)主人公は、果たして幸せなのだろか。
またラスト。主人公が「無理してない」とすれば、この上ないハッピーエンドなのだが。果たして。
そういう発想が出てしまう自分こそ、ほんまに罪深いのではないか…、としんどくなってしまうが。
非常に難しい問題を多く孕む映画ではあると思う。また何回か見て、考えたくなる映画である。
と少なくとも自分は思う。





最後に、もしご覧になるのであるば、是非エンドロールの最後の最後までご覧ください。
なんか、非常にそこがよかったですわ。