薩摩珍道中最終回「火の島・桜島」。


2012年は、ファジーな感じで明けた。宿は東向きのオーシャンビューだったので、
運が良ければ初日の出が見れるかもねー、と言っていたが。やはり運がないね。
最近の天気予報はよく当たる。仕方ないので、この薄日をもって初日の出とみなす。
まあ、これもこれで美しい。
指宿から北上し、再び鹿児島市内へ。夕方の新幹線まで時間があるので、せっかくだから(またか)
桜島に渡ろうか、となって。フェリー乗り場に向かった。元旦だからか、フェリー乗り場には、
非常に沢山の車が並んでいて、どひゃあ、これ、乗れるんか?行けても帰ってこれるんか?と
心配したが、頻発する船が非常にシステマティックに車をさばいており、その点は安心した。
関係ないが、この状況で、小学校の時死ぬほど苦手だった「ニュートン算」を思い出した。
もうひとつ関係ないが、親父がやらしい映画を観てるのがわかってて、それを盗み見るために
わざとこの難しい「ニュートン算」を茶の間に質問に行ったなあと、余計なことも思い出した。
あの時の親父の心境には、今となっては同情する。全く、ませヒネた小坊だって、恐縮だ。
・・・・
いや、そんな話はどうでもよかった。桜島だ。

短い時間ながら、クルーズを楽しめた。雄大桜島が優しく迎える。

「道の駅桜島」でお昼ご飯。ここの「火の島御膳」がクリーン・ヒットだった。
素朴ながら、「おばあちゃんちのご飯」という感じで、ヤドメシや店屋物に飽いた口には嬉しく。
桜島大根と薩摩黒豚の煮付けもよかったが、かき揚げがさらによかった。なんでもこの地では、
古来もてなし料理と言えば、かき揚げであったのだとか。ひたすら温かみを感じる。

湯之平展望所まで車で上がり、今度は近くで桜島を見る。遠目には優しい母の感じだったが、
今度は、あくまで猛々しい父のような感じがする。屹立した稜線は、恐ろしくすらある。
全てを排除し、拒み、寄せ付けないようだ。人間が立ち入ってはいけない世界なのだろう。
実際、桜島は登山禁止であるらしいが、それは別としても、登っちゃいかんだろう、と思う。
ところが最近でも登っている人はいると見えて、桜島について調べる過程で見つけたHPでは、
見つからないように登ったぜ、冒険したぜ、みたいな「武勇伝」が綴られていた。
彼は湯之平までで帰って、登った気になってちゃいけないぜ、的なことをノタモウてた。
溶岩質の岩稜は脆く、火口近くの断崖絶壁は目も眩むほどで、死ぬ思いだった、とか書いてたが。
それ読みつつ自分は、言葉は悪いけど、正直死んでもよかったのに、と呟いてしまった。
こいう、匹夫の勇と勇気を履き違えている人は、結構おって、どうしようもないよな…
・・・・
失礼、また話がヨレてしまった。
とにかく湯之平から降りてきて、まだ時間があったので。島の南の、有村溶岩展望所まで行って
ひっかえそっか、となり東へ東へと進んだが。うっかりそこを空過してしまった(ヨメ運転)
一本道ゆえUターンもできず、どうしよどうしよ、と直進を続けたところ。島の反対側に迷い込んだ。
せっかくだから(しつこいぞ)、有名な「埋没鳥居」も訪れた。

そこにはまた、桜島の別の姿があった。

木から家から畑から、全てに薄く灰が積もり、ひっそりと、静まり返っているかのようである。
そうでありながら、遠くからは「どおーーーん、どおーーーん」と絶えず爆音が聞こえてくる。
その大きな音が、逆説的だが、帰って静けさを増すかのようで。全く未体験の感覚だった。
偶然ながら、全く知らなかった桜島の姿が見れて幸運だった。島の東側、おすすめである。
鹿児島からの雄大な眺め、湯之平からの猛々しい眺めと、この死すら思わせる静かな眺め。
三者三様の顔はさながら、アシュラマンもとい、阿修羅観音を思わせる。
桜島は活発さを増しているらしいが、怒りの顔は是非、控え目にしてもらいたいところだ。

鹿児島中央駅焼酎バーで、旅の終わりに乾杯。種類があまりに豊富で目移りするが、
なんとか選び(何を選んだかは忘れた)お湯割りで香ばしく頂く。ほろ酔い気分でいい気分。
あとはまどろむうちに、列車が大阪まで連れて行ってくれるだろう。
その前に、酔いどれた我々はホームまで上がれるのか。
焼酎は最後にありつけたが、地鶏とか鹿児島ラーメンとか、仙厳園とか池田湖とか霧島とか、
枕崎のかつおとか、宿題は多く残った。大隅半島も行きたかったな。
しかし毎回書くが、宿題をやり残して行く、そのことこそが、旅の醍醐味である。
人生もそれに似て、であるかもしれない。
かといって、学生の皆さんは宿題やらんでいいってことじゃありませんよ。
(完)