薩摩珍道中2「鹿児島、旅路の果てに」。

お待たせしました(待ってない、てか)。
鹿児島旅行記、再開します。
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二日目。何の変哲もないビジネスホテルと思っていた宿であるが、
思いのほか、朝食がよかった。バイキングなんだが、郷土食をふんだんに取り入れていた。
なかでも、「けいはん」が自分的にはヒットだった。けいはん=鶏飯、である。
言うまでもないが、「おけいはん」とは無関係だ。て、関西の人にしかわからんネタやね。
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この「けいはん」。本来は奄美大島から沖縄にかけての名物であるそうなのだが。
ゆでたか蒸したかした柔らかい鶏を細かく裂いたのと、錦糸卵、しいたけなどの薬味をともに
熱々のご飯にのっけ、上からだし汁をかける、というもの。さながら「和風クッパ」である。
あっさりとおいしくいただけた。ヨメの監視がなければ何杯も食べていたところだ(こら)。
これは自宅で自分でもできそうで、一度試してみたいところである。
すみません、夢中で食すあまり、写真を撮るのを忘れました。
おなかもくちくなったところで、市内観光をスタート。

女心の残り火は、燃えて身をやく桜島
ここは鹿児島、旅路の果てか…
思わず口ずさむ。て、ちょっと古いね。
写真は西郷隆盛が最期を遂げた地、城山からの眺望である。
あの時サムライの残り火が一瞬大きく燃え、そして灰になった。
その最期の日、隆盛は何を思ってこの桜島を見上げたことであろうか。
しかしまあ、この眺め。どんな教師にもまさるのではないか。
隆盛はじめ、鹿児島が数多の偉人を輩出した理由は、これにちがいない。

隆盛と言えば、鹿児島の隆盛像はこんなである。有名な東京・上野のそれとは
かなり趣が違う。写真を紹介しといて何だが、個人的には上野の方のが好きである。
理由は、わんこの有無である(隆盛さんすみません)。

ただ、桜島、いいことばかりではなさそうだ。「降灰」が鹿児島の日常である。
なんとなく全てがずず黒く、すすけた感じがした。悪い感じではないが独特な感覚。
町の随所で、灰を箒で掃いてはる(しまった駄洒落だ)人が目に付いた。
そうして掃かれた灰は、こういう風に集められているようだ。毎日のことだと大変だ。

城山の後、鶴丸城内外を巡る。島津氏やら篤姫やら小松帯刀やらの足跡を辿ったりした。
その後は楽しみの薩摩黒豚。ずっしりとしたボリュームのわりには全くしつこくなく、
ヨメなどロースとヘレの二枚をぺろりと食べていた。自分はヘレ&コロッケを選択。
ここまできてなんでコロッケ、とヨメに失笑を買うが。またやってしまった。
タイでも名物から程遠い「ミートスパゲティ」を選択して不思議がられたが。自分の悪い癖。
だって、コロッケ食べたかったんですもの。言い訳するが一応、黒豚コロッケだ。

楽しみにしていた「ザビエル教会」は、全く予想していなかった近代的な作りで、
非常にびっくりした。大浦天主堂や、新しくても浦上天主堂みたいのを想像していたが…
ザビエル、侮れない。歴史上の人物どころか、ばりばり現在進行形の人物であるようだ。
社会化の教科書で落書きしてごめんなさい。ザビエル頭だとか、ハート形蛸を持ってるとか
今まで言っててごめんなさい。おお、なんか、謝ってばかりだぞ。


その後天文館へ。『水曜どうでしょう』ファンとしては、「天文館むじゃき」ははずせない。
ヨメと「対決列島」に興じたいところだがそれはおさえて。元祖「しろくま」をゆっくり賞味。
写真はこれでも「ベビー」である。他のテーブルで見た「レギュラー」の凄さは想像を絶する。
もし食べたら、三日くらい頭痛になりそうであるよ。
ここには「くろくま」もあり、また他店の「赤熊」「黄熊」も気にはなっていたのだが。
今回は冒険できず。次回があるとすればの宿題。
天文館を歩いていると、ファッショナブルであったり、センスがよかったり、面白そうだったり、
そういう店が無数にありそうで。もう少し回りたいところであった。また非常に活気があった。
侮っていたわけでは決してないのだが、意外だった。ここだけ見ると大都会とも遜色ない。
若者も多いし、他の過疎で悩む地方都市とは違う気がした。もっともこれは年末だったからかも。
さすがは、一度は日本を席巻した(そして今もしてるのかしらんが)国である、と感心しきり。
さて、鹿児島に後ろ髪を引かれつつも、今度は次の目的地、指宿に車で移動。
そこからは、また次回に譲ります。すみません、続く!