遙かなる熊野本宮3「堺東→鳳」。

(参考)
遙かなる熊野本宮1「天満橋天王寺」 …http://d.hatena.ne.jp/Moulin/20090211
遙かなる熊野本宮2「天王寺→堺東」 …http://d.hatena.ne.jp/Moulin/20100609
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鹿児島旅行記の途中ですが、今回はこちら。
成人の日のことである。山に行こうとも思ったが、寒いので(軟弱)。
長らく中断していた熊野ウォークを再開しよう、となった。なんと一年と半年ぶりだ。
今回は、昨年の水害で熊野街道の先の方が被害を受けたこともあり、特別な思いもあった。
しかし少しピッチをあげねばあかんね。この調子だと、ゴールまで40年くらいかかりそうだ。

前回のゴール、堺東駅からスタート。いきなり出口を間違える。

再び、方違(ほうちがい)神社へ。お参りし、行程に戻る。
この後、仁徳天皇陵までのところで、三国ヶ丘付近をウロウロ、さんざん迷ってしまう。
方違神社に行って、方向を間違えてしまうとは、出来過ぎた話。駄洒落か、と。
もっとも、堺市のこの付近は、熊野街道のコースが確定していない部分であるとか。
なんや確定していないのか、なら迷うのも仕方ない、と開き直る。て、何を偉そうに。
途中、成人式帰りと思われる若者達が、晴れ着でコンビニに屯しているのを見、暗澹としたり。
と思うと、同様に艶やかな(よく言うと)若者達が後輩に花束をもらっている場面を目撃し、
微笑ましく思ったり。よきも悪きも、見知らぬ人の生活の場面に出会うのが、街歩きの醍醐味。
迷うのもまた、悪くない。

やっと仁徳天皇陵へ。かの有名な「世界最大の陵墓」。規模はあのピラミッドを凌ぐ。
が、でかすぎてよくわからない。写真は丁度「くびれ」(てゆうのか?)のところ。

一転、西行し、千利休ゆかりの南宗寺へ。ここがなかなか面白くかなり長時間を過ごす。
ボランティアガイドさんの話を興味深く拝聴。さすが一時代を築いた堺は、歴史の宝庫。
写真の石庭は、竜安寺に勝るとも劣らない。奥の灯篭は「織部灯籠」。かの古田織部が考案したもの。
写真ではよくわからないが、仏像が彫られているように見えるのは実は、マリア像であるとか。
国際都市・堺は、キリスト教キリシタン)の影響が随所に見られる。言われな、わからんね。
徳川家康の墓」なる碑もあった。何を馬鹿な…と当然思われるだろうが。一説によると。
大坂夏の陣において、実は家康。後藤又兵衛の槍により深手を負い、命からがら堺へ落ちのびる。
しかし虚しくこの南宗寺において息絶えた、と。その後天麩羅にあたったとかなんだかの話は、
あれは実は影武者であった… これだけ聞くといかにも眉唾であるが、境内随所にそれを裏付ける
「状況証拠」があるのだ。それは是非、皆さん自身の目でご覧いただきたい。
真偽はともかく、なんともロマン溢れる話。西軍―大坂方ファンとしてはより嬉しい話ではある。
他にも、「八方睨みの龍」やら、なんで某大電気会社が某有名時代劇のスポンサーをやってたかが
わかる碑などもあり、興奮のあまり時を忘れる。この時点で本日の行程を半分にすることを決定。

南宗寺からは、また熊野街道が復活する。さあ南へ。

街道碑と殺風景な空き地とのコントラストの妙。しかしこういうの、嫌いではない。

こんなとこも通ります。


この日はえべっさんの宵宮でもあり。「日本最古の戎宮」(ほんとかは知らん)石津神社に寄り道。
「にっぽんー、いちーの、ササでっせー」というオハヤシがこの後脳内を無限ループ。

大鳥神社。ものすごいパワースポットであると感じたが、閉門寸前で残念だった。
次はゆっくり来たい。


最後は鳳本通り商店街のアーケードに「でん」。この日のゴール。

さあ、あとはスパワールド&串カツだ。毎回の楽しみ。

「今回の行程 約8キロ ――熊野本宮まで あと約211キロ」