「第九」・深いい話。

早いもので、この週末は「10000人の第九」本番である。「佐渡練」も先日終わった。
佐渡さんは、気のせいか元気がないように見えたが。多忙の極みでお疲れなのか。
といいつつそこはプロ、である。本番はやはりパリっと雄姿をお見せになるに違いない。
さて自分は緊張しまくりの去年に比べ、今年は慣れたというか、いまいち実感がわかないのだが。
いや慢心はいけん。もう一度気を引き締めたいところだ。リハ前は大阪城公園で秘密特訓だ(雨)。
ところで、第九レッスンで担当講師から聞いた話の中で、ほう!と感動した話があったので、
今日はそれについて書きたいと思う。が、自分の拙い筆では、うまく伝わるかどうか。
ご存知のように、「第九」での合唱の出番は、第四楽章の後半になってやっと回ってくる。
故に、第一〜第三楽章と、第四楽章の前半まで小1時間にわたり、時に睡魔と闘いながら(こら)
ひたすら待たねばならない。同じような立場にある人が、オーケストラの中にもいらっしゃるそう。
ピッコロ大魔王、もといピッコロさん、である。親しみを込めて敢えて、さん付けで呼ばせて頂く。
ピッコロさんは、我々合唱が加わった後でさえ待ち続け、全体が「フォルゴーーーーーーーーット」と
第一のクライマックスを迎えた後にやっとお出ましになる。男性マーチを明るい旋律で先導する部分だ。
しかしそこが唯一無二の「見せ場」で、あとはまた裏方へ。ほどなくして演奏は終わってしまう。
ただ、じゃあピッコロさんは我々同様(こら)1時間ぼーっと待っているのかというと、違って。
素人の私にはよくわからんが、楽器はあったまったり冷えたりで、微妙に音が変わってしまうとか。
で、通例は演奏しているとどんどんあったまってしまい、演奏開始時とかなり調子が異なってくる。
ところがピッコロさんはずーーと演奏しないので、周りと「温度差」が出来、そのまま入ったのでは、
周りと全く調和しないのだとか。それを避けるために、ピッコロさんはなんとなんと。
ピッコロをフトコロに入れて、1時間ずーっと「温度調整」し、「見せ場」に備えているのだと。
一万人を指先ひとつで動かす佐渡裕の闘いも闘い。熟練した技のバイオリニストの闘いも闘い。
全館を震わすバリトンソロの闘いも闘いであるが。一人出番に備え楽器をひたすらあっためる闘い。
そんな闘い方もあるのだ。華やかなオーケストラの中で孤独に耐え、ピッコロさんは頑張っている。
それを思うと、第一〜第三楽章までの見方も全く変わってくる。とても寝てられんよ(こら)
ピッコロさんの出番の聞き方も変わってくる。ああよかったねー、と。涙さえこぼすかもしれない。
みなさんも、もし「第九」をお聴きになる機会があったら、是非ピッコロさんを思い出して下さい。
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暮れの風物詩、「第九」。この一年に対する様々な思いが去来する。が。
今年はやはり震災のことを考えざるを得ない。震災と「第九」がどう結び付くのか。いまいち悩んでたが。
もし我々の合唱を聞いた被災地の方が、生を肯定し少しでも前を向けるきっかけとなるならば、と思う。
義捐金もボランティアも支援であるが、そういう支援もあろうかと思う。そういう思いで歌ってきます。
Deine Zauber binden wieder, was die Mode streng geteilt.
あなたの魔力は、時の流れが厳しく切り離したものを、再び結び合わる。