ときめき・ふたりハイク「旧中山道を行く」。

中山道(きゅうなかせんどう)である。
1日中山道(いちにちじゅうやまみち)ではない。昔そう読んだ女子アナがいたとかいないとか。
ちなみにそう読んだとされる女子アナは人気があったが、それより自分は今はかつての名捕手の
妻となっている人の方が好みであった。と、そんな話はどうでもよくて。
先日、旧中山道を、関ヶ原から醒ヶ井まで歩いた。関ヶ原の戦いはもとより、壬申の乱の戦跡もあり、
常磐御前のお墓もあり、江戸期の宿場町の佇まいやら、芭蕉の足跡や、昭和の懐かしい街並みやら。
いろんな時代の歴史を堪能できてよかった。関ヶ原はもう少しゆっくり見たかったが。またの機会だ。
蛇足ながら。せっかくだからパンフレットくらいもらおうと、関ヶ原駅前の観光案内所を訪れた。
したら、案内のおばちゃんが、これこっち右に行って、ずーっと上がって行ったら、資料館があるから。
その先、笹尾山に上がると関ヶ原が一望できますよー、と親切にも事細かに説明してくださった。
あーそーですかー、おもしろそーですねー、と調子を合わせてしまうのが、自分のいけないとこだ。
わかりました、機会があったら行ってきます、と言いつつ、しばらく進んで、「左に」曲がった。
おばちゃんは、慌てておっかけてきて、ちがうちがう、こっちこっち、右右!!と叫ぶ。
ちがうねん、今日はそっちにはいかへんねん、とは言えず(言えよ)。丁度自販機があったので、
お茶買うんですよ、と誤魔化した。おばちゃんはさらに、笹尾山にはヤギがいて、ヤギのミルクも
飲めますよー、はいこれパンフレット、とたたみかけてきた。それも適当にかわして(おい)、
ゆーっくり、欲しくもなかったお茶を買い、おばちゃんが戻って案内書に入るのを確認してから、
すかさず左手にダッシュした。すまん、おばちゃん。あなたの親切は本当にありがたかったが。
もし見られてたら、おばちゃん、人間不信にならへんか。またの機会があれば、償いたいと思う。
全く自分、はっきりせえへんことで、逆に迷惑かけたことが多々あんのに。学習してへんわ。

「西の首塚」にて。憎き「葵の御紋」と、燦然と輝く「大一大万大吉」。ええわー(←西軍好き)
前にも書いたが、大一大万大吉、英訳すると(せんでも)One for all, all for oneやで。
スクールウォーズ」ならぬ「戦国ウォーズ」(当たり前だ)であるよ。秀秋、俺は今からお前を殴る。

京極高知藤堂高虎陣跡。悲しいかな、一番成功するのは、こいう立ちまわれる人かもしれない。

さらに福島正則陣跡。むかむか。あんたさえだまされへんかったら…、ま、言うても詮無いが。
この先左手に、松尾山が見え(写真撮り忘れ)、また血圧が上がる。秀秋、俺は…(もうええ)

きたぜ、「戦国の月光仮面」(またか)「義の星の男」大谷良継。テンションが上がる。
すみません…、つい、戦国オタクに走ってしまいました。もっと他の見所もいっぱいあったですが。

近江国に入る。このゆるい感じの国境が、よい。かつてはこの境を挟んで二つの宿屋があり、
宿で寝ながらにして、窓越しに「異国の」人と話ができたということだ。
またすみません…、この後、腹が痛くなり(As is often the case)、写真を撮る余裕がなく…
柏原(×かしはら×かいばら○かしわばら)の宿はおすすめです。「福助」が見れず、残念。

終点醒ヶ井は、水どころ。清水が長歩きの疲れをほぐす。昔の旅人はどれほど癒されたことか。
先にも述べたが、史跡が多く、景色も変化に富み、歩きやすいのが印象的な旧中山道ではあったが。
もひとつ印象的だったのは、途中(特に名神と並走するあたり)やたらラブホが多かったことだ。
今回写真が少ないのはそれもある。全く、「芭蕉もびっくり」という感じであった。