タイ珍道中・最終回「のろのろ、じたばた」。

最終日。買い物は一人でしたいと主張するヨメと別れ(無理無し)、
自分はバンコクの下町を徒歩にて探検。アソークの商業ビル群を尻目に、南下。
建物の様子が変わり、観光的雰囲気は全くなくなり、町に生活の息吹が漂ってきた。
もちろん「欧米か」なんてことは全くない。ここは、タイだ。興奮度が増す。

とりあえずの目的地とした、「バンコクの台所」クロントゥーイ市場に到着。
生肉や生魚、見たこともない野菜や果物、得体のしれない菓子や雑貨が目を引く。
忙しく行き交う人の足音、バイクの音、威勢のよいタイ語の呼び声が耳を洗う。
それ以上に記憶に残っているのが、生肉と生魚と排気ガスと人いきれと排水溝と…
そんなものがごった混ぜになった「臭い」である。なるほど悪臭と人は呼ぶだろう。
しかし、自分はそれに、とてつもない人間のエネルギーを感じた。脳幹が痺れた。
そして今自分はそのエネルギーを感じ、臭いをかぎ、音を聞き、光景を目にしつつ、
全くその一部ではあり得ない。この感覚こそ、海外旅行の醍醐味なのではないか、と。
最終日にして、できたこの経験は貴重だ。スネ夫入りまくりで、失礼千万。

自分らが出発するこの日は丁度、「王妃誕生日」というタイの祝日前日であった。
町の至る所に装飾が施されていた。興味深かったのは、市内デパートにおいて、
グッチとかプラダとか高級ブランドが並んでるようなフロアにも、おひさま、
じゃなかった、王妃様を称えるブースがあったりするんである。日本では考えにくい。
タイの人は王家を崇敬し、生活の奥深いところにまで、それが入り込んでいる。
入り込んでいると言えば、仏教信仰もそう。僧侶は、船に僧侶専用ゾーンがあるほどの
尊敬の対象であり。市民の挨拶も、合掌にはじまり合掌に終わる。
自分も滞在中は郷に従ったのであるが、帰国後日本で一回これやってしまい、驚かれた。
そいう、なんか心の拠り所があって、全てそれを中心に生活をしてるてのは、
今の日本が無くしてしまったものやないんかなあ。もちろん行き過ぎたらあかんのやろが、
今日本にあるいろんな問題が、そいうところに起因しているんやないか、と思った。
そしてタイを後にする時が来たが、それがどえらい苦労するのだ。

渋滞。

じゅーたい。

JUUTAI!
ひどいひどいとはきいてたが、こんなにひどいとはしらなんだ。バンコクの渋滞。
日本でもね、塚本で5キロとか、T塚トンネル(何故これだけ伏せる)を先頭に20キロとか。
「渋滞の名所」とかあるが。タイには渋滞情報の掲示板とか放送とかはなさそうだったが。
それも納得である。あるとすれば「渋滞渋滞、全部渋滞、もうずうっとどこまでも渋滞」て
なっちまうだろう。名所どころか、町中の車が全て止まってしまってるような状態だった。
これ、明らかにインフラがモータリゼーションに追いついてないわ。車は異常に多いのに、
道はしょぼい。また、信号が少なすぎる。頭、先突っ込んだもん勝ち、みたいな状態やし。
ガイドさんなど、毎朝4時に起きて、郊外からバンコクまで毎日通勤されているらしい。
それでいて、遅刻をすると何分何円、と罰金をとられるという厳しさで。文明が生む不幸だ。
と、人ごとのように言ったらいかんのやないか。無限に並んでいる車の多くは、日本車だ。
車売るんはいいとして、売ったらしまいやなく、こういう事態の解決も考えないかんのでは。
せめて信号のひとつでも寄付するとか。ま、実際やってるんやったらご容赦、であるが。
自分も、車の貿易黒字による豊かさを享受している日本人の一人。無関係を装うことはできぬ。
帰りの空港まで、渋滞の列の中、「ごめんなさいごめんなさい」と頭の中で繰り返した。
それは何万回(多杉)と繰り返せた。何故なら、空港まで3時間以上かかったからである。
公共交通で行くのも考えなくはなかったが、無料のピックアップというのに引かれてしまった。
また、まさかそんなに時間がかかるとは思わなかったし。ホテル出たのは、離陸4時間前だ。
たぶんねえ、渋滞してなかったら30分かからんのちゃうかな。多く見積もって1時間半かな、と。
空港で土産買う時間とか、たっぷりあるかなと計算していた。その計算は脆くも崩れた。
それどころか、果たして飛行機に乗れるのか、すら怪しくなった。いやこれ、どうすんの。
別便とってくれるの?それ旅行会社持ち?明日のヨメの診察は(プロジェクトF)?
ま一日伸びるのもまたラッキーかな?あかんわ、ネコどうすんの(シッターは延長できず)?
旅行会社のおじさんは、可哀そうにすっかりてんぱっていた。不幸中の幸いにして、
渋滞は解消。その時車内に上がった歓声(他のお客さんもいた)と、車内に出来た一体感。
そしてそこからの運転手の爆走は一生忘れないだろう。また、空港内を駆け巡ったことも。
やっとのことで間に合った思ったら、飛行機は遅れていた。こらあ。
しかしここまで来てしまったので、もう買い物もできない。むむう。
かくて、日本に持ち帰り、お配りした土産の大半は、実は乗り継ぎのホーチミンで購入した
ベトナム土産」なのである。のは秘密である。て、言うてもうたがな。
ほ、自分で仕掛けた伏線も、忘れず回収できた(時々忘れる)ということで。
長々とお届けした、タイ旅行記。これにてめでたく、筆を置かせて頂きます。
次があるとすれば、絶対、空港まで車は使わんぞ。
え、タイミングはどうしたって? よく覚えてますねえ(言わねば済んだものを)
そんな昔のことは忘れました(都合いいぞ)
*****
<本日のおまけ>

ありまおんせん、ありまっせ。私の記憶は、ありません。
おあとがよろしいようで。て、よくないか。
(完)