『甲子園が割れた日』。

甲子園が割れた日―松井秀喜5連続敬遠の真実 (新潮文庫)

甲子園が割れた日―松井秀喜5連続敬遠の真実 (新潮文庫)

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英検二次試験発表待ちで落ち着かぬ心の中、何故か購入。一気に読了。
買った時は意識しなかったのだが、試験の「お題」は「子供に競技スポーツを教えるのは良いことか」か何かだった。
試験では全然まとまらんかったのだが。深層心理が「答え」を求め、この本に手を伸ばさせたのかもしれない。
で、答えが見つかったかというと。ますます混乱させることとなってしまった。ま、そんなことはさておき。
「松井5打席敬遠」永遠に語り継がれる高校野球史上の「事件」である。
また、松井が伝説となった日である。本書にもあったが、バットを振ることなく造られた伝説は空前絶後だろう。
そして松井が自分の心を鷲掴みにした日でもある。彼は何時でも、何処へ行っても阪神の出向選手と今だ思っている。
あの時中村さんが違うクジを… いや、それはもう言うまい。
自分はこの試合を実家のテレビで観戦していた。たしか大学一年の夏のことであった。
入学からこっちの浮かれ気分と旅行にアルバイトに、そしてあの年は珍しく阪神が好調だったのでプロ野球に、と。
いろいろ忙しかった中、何故その試合を観るに至ったか詳細は忘れてしまった。しかしあの衝撃は一生忘れない。
ただ、その当時も今も、敬遠など汚い!とか、男の勝負やろ!とか、高校生らしくない!とかの感情はあまりない。
野球は戦術を闘わせる競技である。変化球は汚いから禁止!とかいうのは到底頷けない(たまに言われるけど)。
それと同じく、敬遠もルールにある以上、汚いとか言われるのは筋が違うはずだ。リスクも伴う作戦であるし。
高校生らしく、て。松井のどこが高校生らしいねん、と。いや、少しだけ野球部にいたことがある者としては、
甲子園に出るような選手は、程度の差はあれ皆バケモノだ、と当時から思っていた。自分のツボはそれらでなく。
まずは、黙々と四度一塁に進んだ、松井のあまりの大物的態度である。人間としての凄みを感じた。
次に、五番打者・月岩の負担である。この事件に「責任」があるとすれば、その大部分を背負わされた感じだ。
最後に何より、プロ野球では珍しくも何ともなかったが、高校野球では初めて見た、「殺伐とした甲子園」である。
飛び交う怒号に罵声。グラウンドにはメガホンやゴミ。それを拾いに行く星稜の選手。
明徳の校歌に「カ・エ・レ」コールが浴びせられる。「我らは進む誠の道を」という歌詞が痛々しさに輪をかけた。
以下は記憶があいまいなのだが、放送席には両校からのゲストの方が来ていたような気がする。
で、お決まりの終わりの挨拶の時に、アナウンサーが気をきかせたのか「(明徳の)○○さんには敢えてお話は
頂戴いたしません」のようなことを言った覚えがある。どこまでも、異様な光景であった。
前置きが長くなったが、以上が今まで自分の中にあった「5敬遠」である。皆さんの中にもそれぞれのそれがあろう。
本書は舌を巻くほどの丹念かつ長期間にわたる粘り強い取材で成り立っている。その点が一番驚いたことである。
自分もライターとかなれたらかっこいいかな、とチラッとだけ思っていたが(そしてちょっとだけ今も思っているが)
こんなにも努力せないかんのか、ととてつもなく高い壁を見た思いがする。
この大きな決断を下した馬渕監督、20のボールを投げた河野投手、そして明徳の選手たち。
「被害者」側の山下監督、悲劇の五番打者・月岩選手、執念の三塁打で「五回目」を作ってしまった山口投手。
(本書にこの「五回目」がなかったらそんなに騒がれることはなかった、と書いてあったが、自分もそう思う。)
そしてその他の星稜の選手たち。また誰よりも「当事者」でありながら、誰よりも「なすすべ」がなかった
松井選手…
当時この件を扱った記者や、野球解説者、また、次の試合で明徳と闘ったチーム(広島工業)などの談話もあり、
非常に多方面からの、様々な意見。それぞれの立場を知ることができる。自分の知らない「5敬遠」がそこにある。
特に当時の明徳選手の生活状況や、河野投手や月岩選手の「その後」は非常に興味深かった。
野球に興味の無い方でも、「人間」を描いた、ひとつの壮大なドキュメンタリーとしてお楽しみ頂けるかとおもう。
そして「聞けば聞くほど、知れば知るほど、わからなくなってゆく」その独特な感覚も、抱かれることと思う。
ただ、わかるのは、一面的な見方はよくないということ。噂を信じたらいけないということ。
そして、松井はやはり凄い、ということだ。いつまでもいつまでも、待ってるで(まだ言うか)。
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<本日の言葉>
「答えは出んよ、一生」
       本書より、馬渕監督の言葉