「大脱走」。

(BGMはもちろん、エルマー・バーンスタイン大脱走マーチ』で。)
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朝は好きである。特に春から夏にかけての朝は心地よい。
夜型の仕事のため、今までは朝が遅く、久しくこの感覚を忘れていた。
「きっちり7時に鳴りだす目覚まし時計」がやって来たことで、否応なしに起こされる昨今。
しかし、そういう昔の好みを思い出させてくれた、という意味では非常に良かったかもしれない。
窓から部屋の奥まで差し込む朝の光を浴び、ソファに腰掛けゆったりと新聞を広げる。
コーヒーの芳醇な香りが鼻をくすぐる。ラジオからは「これぞ朝の声」と安心感を与える渋い声(道上さん)。
網戸越しに、五月の薫風が爽やかに入ってくる。風が一匹の猫の髭を撫でる。猫は気持ちよさ気に目を細める。
外には、小さいながらも庭がある。庭木の新緑が目に眩しい。若芽には生命の息吹が溢れんばかりである。
ガラスの向こうでは、その息吹を全身に浴びながら、陽光のもと、もう一匹の猫が歩いている。
・・・・
ありぃ?
・・・・
事態を把握するのに数秒を要したが、よく考えたらえらいことである。
アントン脱走の巻、である。恐れていたことが現実のものとなった。
網戸の方ばかり気が行ってしまってて、反対側のサッシが盲点になっていた。どうもそこから脱出した様子。
来たばかりの時は、雨戸や玄関を開けるにも一々猫を隔離するなど、細心の注意を払っていたのではあるが。
ここに来て、我々も悪い意味で慣れてきた、というか油断があったようだ。アントンが頭いいのを忘れていた。
そこからは、ヨメともども、朝から大捕物を繰り広げるに至った。
ヨメと挟み撃ちにして捕まえようとするが、その横をすり抜け、全速力で家の周りを駆け回る。
その必死の逃走を見て、なんか、悲しくなってしまったのであるよ。そないに逃げんでも… 
毎日エサやってるのに… 毎日トイレの始末もしてるのに… 自分はかわいがってるつもりやのに…
少しくらい恩に着てくれてもええやんかさあ。犬は一度エサやってくれた人を一生忘れへんいうで…
まあ、それは猫を選んだ時点で言わない相談なのか。或いは、まだまだ飼い主としては未熟ということか。
見返りを求めてはいけない。「無功徳」という言葉の意味を、痛感させられるに至った。
つうか、そんな悩んでいる暇はあらへん。二人であっちだ、そっちだ、と大騒ぎして追捕を試みた。
間の悪いことに、ご近所の奥様三人が、三人とも外に出てはって。この大捕物劇をご覧頂くハメに。恥。
幸いというか、アントンは全速力で、我が家の周りをぐるぐる回っているだけであった。
そして、バターになりました。そのバターでおいしいケーキを焼きました。めでたしめでたし。
嘘である。
実際は、ぐるぐる回りすぎて目を回したのか、或いは電池が無くなったのか、急に動かなくなった。
かくしてアントン、あえなく御用となった。捕まえる際に「うろおお〜ん」と低く鳴いた声は忘れられん。
よかったよかった、と連れ戻そうとすると、「観客」の一人の奥さんが、「あ、もう一匹!」と声をあげた。
今度は、ホセ殿が、まどからにゅうっと体を出していた。それをダッシュで押しとどめに行く。油断の隙もない。
心臓バクバクの、あまりしたくない経験であったが、これを糧にまたいろいろ学び精進してゆきたい。
何故猫を飼うのか、という根源的問いも含めてだ。まさに猫飼いの道、武士道にも通じる奥深さであるよ。
あとで学んだのだが、焦って追わないほうがいいらしいですね。家猫は怖がりなので、遠くには逃げない、と。
焦って追うと、かえって猫がパニックに陥る、と。今回のアントンは、まさにそれがあてはまる形か。
だとしたら、自分の未熟の至り、猛省することしきりである。

前科一犯。

脱走とは不届き千万!(自分も逃げようとしてたくせに)