ときめき・ふたりハイク…高御位山。

高砂市は、高御位(たかみくら)山というところに行ってきた。
もともとは、後述の「にくてん」が目当てであったのだが、ガイドブックで以前に見たのを、
なんとなく思い出し目的地に。これも後述するが、今から思えば「何かに呼ばれていた」のかも。
他のHPには「標高だけが山の価値ではない、ということがよくわかる」とか書いてあったが、
まさにその言葉通りで。標高は300M少ししかないが、威容も十二分に持ち、圧倒的な景観も誇り、
アップダウンあり縦走あり岩登りありで、手近にして「登山」の醍醐味を提供してくれる「名峰」だ。
何度も言うが標高は関係なく、トータルな意味で、その名の通り「位が非常に高い」山であると感じた。
人間でも、たまにそういう人がいるなあ、また自分もそうありたいなあ、とも思い出させてくれた。
また話が説教臭くなりそうなのを押しとどめて、話を元に戻すと。

行くまでは全く忘れていたのだが、この高御位山、今年1月に大火に襲われてしまったのだという。
そういや高砂で山火事、とかニュースでやってたなあ、と。黒こげの山が近づくにつれ、思い出してきた。

麓の鹿嶋神社に参拝ののち、登山開始。まずは第一の関門「百間岩」が立ち塞がる。
普通にひょいひょい登るヨメに対し、がっしりと「三点支持法」で登るムのコントラスト。


上がった後は、尾根を縦走。「播磨アルプス」とはよく言ったものだ、という光景がそこに。

高御位山山頂へ到着(簡単に着いたように書いているが、実際には相当時間がかかった)。
山頂には、高御位山神社と(トイレもある)、ご神体と思われる巨岩が鎮座する。
その巨岩の上から絶景をパチリ。その時はご神体とは気付かず。本当にすみません…
その後は、また縦走を続け山系の端に下山、という予定ではあったのだが。いい加減縦走に飽きてしまい、
尾根の途中で横道にそれ、山系の中程にある別の下山口に向かった。これも手軽な山ならでは、のことだが。
繰り返すが、これは「何かに呼ばれていた」のかも、と今にして思う。て、何をもったいぶるのか。
ええい、言ってしまおう。今から書くのは、あくまで事実の描写である。どうとるかは読み手に任せる。
下山した先には、また高御位山神社、という神社があった。詳細はわからないが、所謂下社なのだろうか。
せっかくだから、と参拝しようと立ち寄ったところ、しばらく山の方を見ていたヨメが感嘆の声を上げた。
「え…、なんで…、なんでここだけ燃えてへんの…」
拝殿に正対し見上げると、拝殿の遥か一直線上の山頂に遠く、先ほどの巨岩が見えた。
そして両サイドが黒こげになっている中、その巨岩から山をざっと下りて拝殿まで一直線に、
帯状に緑があった。それが、「燃えずに残った」のか「そこだけまた生えた」のかは遠目でわからない。
ただそれはあたかも、巨岩から拝殿まで遥かに続く、「緑の回廊」のように見えたのは確かである。
単なる偶然か、案外科学的に証明できることか、それはわからないけど。あまりのことに、びびった。
人間が、自然の全てがわかったような気になったのは、ほんのここ100年200年のことであろう。
地球の悠久の歴史から見れば、ほんの一瞬である。しかも、ほんま「わかった気になってる」だけやし。
人よ思いあがってはいけない、と教えられた気がするのがひとつ。また、「黒こげの中の緑」は、
命と再生の象徴みたいな気がして。感動が止まらず。ありがたく手を合わせ、賽銭500円を奮発した(安)

その後目当ての「にくてん」。B級グルメ選手権の常連ともなっている、知る人ぞ知る高砂名物。
すじこん(スジ肉+コンニャクのたいたん)とジャガイモの入ったお好み焼き、と説明できようか。
前にも書いたが、自分は二度目である。ヨメの一時期の仇名(て私しか言ってないが)が「にくてん」であり
(由来は言うと命にかかわるので言えん)、なんとなく検索をかけたところ、その存在を知った。
今回初めての、共食いのヨメであるが、中のジャガイモをいたく気に入ったようである。
うちでお好みやる時も、ジャガイモ入れてみようか、と。その味を再現できるかは知らん。
盛り沢山の一日は、逸品と生中とともに、胃袋に収まって行った。
て、ここで終わったような書き方だが、こっから帰るのには恐ろしく時間がかかった。
加古川の人は帰られへん」という福本豊氏の言葉を痛感した。て、このネタ前使ったな。
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<おまけ>

我々も、どっか連れてってくらっさ〜い。