十周年(即ち九年目)。

選抜高校野球が開幕した。落ち着いた、一言一言噛みしめるような、宣誓だった。
その立派な宣誓を、感涙しつつ観ると同時に、思い出していた。
丁度九年前の2002年3月23日、大阪某所のレストランで執り行われた結婚式は、
新郎のグダグダな挨拶で幕を開けた。あのグダグダぶり、思い出すにつけ、顔から火が出る。
と、過去形で言っているが、人前でグダグダとなるのは、いまだにそうなのが救いがない。
そんなわけで、結婚十年目に突入した。
『三年目の浮気』やら『五年目の破局』やらの唄があり、また、
『七年目の浮気』とかいう映画もあったと聞くが。さすがに十年を超えると、題材にはならなさそうだ。
『十年目の静謐』とかでは、あまりハラハラドキドキするものを作れそうにない気がする。
しかしまあ、それもよい。ハラハラドキドキはないが、ほっこりまったりした気持ちもまたよし、だ。
それはあまりにもあたりまえすぎて、普段は顧みることがないが、あたりまえのことがいかにありがたいか。
それは、今回東の方でああいう悲劇があり、気付かされた気がする。「共に在ること」への感謝、だ。
あなたの他には何もいらない、それでいいのではないか。だから何も買わなくてもいいってか(違)
いやはや、先日、いわゆる「スウィート・テン」は「十年目」なのか「十周年」なのかで、しばしヨメと
議論したのであるよ。調べるとどうも「十周年」が正解のようで。今年は大丈夫、よかった一安心、
セーフ、と胸を撫で下ろしたのである。てそれは問題を先送りしているだけであるが。
ま、そんなこんなの日常である。こいう、「静かな馬鹿」な生活が、また至福なのかもしれない。
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<本日の言葉>
「生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーします」
                  創志学園高校・野山主将


実は、自分の結婚式でもう一回結びの挨拶があり、同じようなことをしゃべったのであるよ。
そっちは、ちゃんとしゃべれましたよ。素直な自分の気持ちなら、ちゃんと出るんだけどなあ。