いのしし神社・うさぎ神社・ねずみ神社

先の月曜日、ヨメとともに極秘裏に(何故隠さねばならんのだ)京都を訪れた。
メインの目的地は「いのしし神社」こと、護王神社であった。京都御苑は蛤御門の前にある。
文字通り、王を護っている形である。祭られているのは忠臣の名高い、和気清麻呂
前にも書いたが、清麻呂の名を不思議と目にする機会が多く、是非「本山」を訪れたい、というのがひとつ。
またこの神社は、亥年のヨメが就職面接の前日に偶然訪れ、いのししとは何か運命だわと願をかけた結果、
めでたく就職がかなったのだとか。そのお礼参りが済んでなかった(何年経っとんねん)というのもあった。
狛犬ならぬ「狛いのしし」はじめ、いのししだらけの様子がなんとも、面白かった。ありがたく合掌。

参拝後、烏丸通りを少し北上しつつ、少し思った。このまま予定通り御苑に入るか。突如として方向を変え、
西北の西陣を目指すか。「われらはこれから西陣へ向かう!!!」と、明智光秀を気取るのも一興だ。
だがそこは、桶狭間での今川義元の迷惑を思い(いろんな話がまざってるが)、奇襲は未遂に。いやこれは冗談。

蛤御門から御苑に入る。ここにはかの「禁門の変」における傷跡が残っているとか。
ところで禁門の変て何だったけ?としばし議論。もっかい勉強しなおさねば。

広々とした御所前。このような場所が京都にあったとは、と驚きを新たに。中に入れないのは残念。
昔京都で学生をしてた頃、御所グラウンドでソフトボールをやったことがあったので、近くまでは来たはずだ。
が、全然覚えてないわ。全く、あの頃は目つぶって生きてたんかねえ…
御苑を出た後、丸太町通りを東へ。鴨川を渡ったくらいで車道に飽きたヨメが、一本北の通りを通ろう、と提案。
病院だけやから面白くないで、と反論するム。真の理由は、大学に近づくと心拍数が上がってくるからだ。
しかしそこは有無を差し挟む余裕は与えられず。結局一本北の通りへ。

しかし面白い発見があった。興味深い古店舗が多かった。また、老舗旅館が多いのも驚いた。
おそらくは、病院の見舞客か、或いは患者自身かをターゲットとしているのだろうか。これも調べねば。
東山通りを渡って、聖護院を過ぎたあたりで、ようやく血圧も正常に戻ってきた(?)。
遠くに黒谷の仏閣群が見える。非常に引かれるものがあったが、今回は時間の関係で行けず残念。
次の目的地は「うさぎ神社」こと、岡崎神社である。卯年の今年は盛況らしい。今度は「狛うさぎ」だ。

ここもしみじみと合掌。繰り返しになるが、自分は、昔この辺に住んでいたはずなのだが…
住んでいた頃は、全く興味がなかった。実にもったいない話である。それは、歴史や寺社仏閣に限らない。
学問とか、スポーツとか、実生活とか、他さまざまなことで同様のことが言えよう。
いやま、もったいなかったな、と思える今があるのが、逆にありがたいと。そう思うことにする。
下手すると人生はまだ、半分以上残っているのだ。幸か不幸か。
いや、こんな話がしたかったのではなかった。で、最後のシメは、鹿ケ谷は大豊神社。
ここは「ねずみ神社」である。自分は子年なので、今まで以上に熱をこめて合掌(先の二つごめんなさい)

「狛ねずみ」は出っ歯が印象的。


境内には他、「狛さる」「狛とり」も。
狛犬」はどこにでもいるので、十二支制覇まであと6つ、である。
「狛ひつじ」とかは難しそうであるが。
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おまけ。
地元に帰ってきて、この晩はT塚で食事した。その後、T塚大劇場(伏せる意味あるんか)のそばを
通る道が、すごいことになってた。白装束を身にまとった(よく見るとビニールの合羽だった)女性の大群が
カメラ片手に血相を変えて、何かを待っている様子だった。異様な光景だったが、自分も野球で出待ちとか
したことあるので、気持ちはわからんでもない。調べると、なんかの千秋楽と誰だかの退団が重なってたそう。
市民としては、一回くらい行ってみないかんかなー。
そう、今、自分のまわり、面白そうなものはいくらでもころがっているではないか! と、そうまとめとく。