高知紀行・2011。

気を取り直して(?)、予告通り、キャンプ訪問時にあわせて行った高知紀行について。
今回は時間の関係などで、いろいろは周れなかったのであるが。(キャンプに時間かけすぎ)
また、筆者が仕事から直行し、かつ、直で仕事へ行かねばならない関係上、車が使えず。
今回はひたすら列車で移動した。それはそれで、前回と違った趣で、また面白かった。
鉄的には、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線」と、路面電車の土佐鉄道を堪能できたのが良。
ごめん・なはり線の沿線は、かのアソパソマソで有名な、やなせたかし氏ゆかりの地、であるらしく。
各駅に、各々、氏の手によるキャラクターが設定され、それを車内放送などでも紹介していた。
(参考)http://www.gomen-nahari.com/kyara.html
子供さんなどは非常に喜ぶのではないか、と。また、前にも書いたことがあるかもしれないが、
自分はやんごとなき事情で超大型連休を頂いていた時に、アソパソマソにハマった時期があったので、
大人ながら、恥ずかし嬉しく(?)思った。(ヨメも同様の状況であったというのが、また面白い)
そうそう、今回のことで、やなせたかし氏について少し調べてみたら、今まで知らなかったが、
氏はその昔、童謡『手のひらを太陽に』を作詞されたのだとか。言われてみれば、いかにもな感じがする。
話はそれるが、筆者は今の今まで、この曲の題名を『僕らはみんな生きている』だと思っていた。
同様の勘違いは、多そうだ。例えば『六甲颪』という曲はない。(『阪神タイガースの歌』、である)
また野球に話が戻りそうなので、いい加減にしといて。
突然話はかわるが、筆者はウソツキである。
いや、悪意あるウソをつくわけではないのだが、曖昧な記憶をまことしやかに語って、周囲を混乱さすのだ。
一番の被害者がヨメであるわけだが、今回もまた、やってしまった。
安芸までの道程は、行きは高知からJRを利用したのだが、帰りは路面電車に乗ろう、ということになった。
そうすると、終点・後免駅ではなく、ひとつ手前の後免町駅での乗り換えが必要となる。
ただ、駅キャラがすっかり気にいったヨメに、筆者はこう提案した。
「自分の記憶では後免駅に、キャラが勢揃いしたモニュメントがある。後免駅まで乗ってそれを見てから、
 次の電車で後免町に引き返せばええやん」、と。ヨメもそれに同意した。
が、いざ後免駅に着いたはいいが、いくら探してもモニュメントがみつからない。あれえ・・・
「あんた、またやな・・・」とヨメには呆れられてしまった。言い訳をすると、自分が前乗ったのは開業すぐで、
特別なモニュメントがその時期だけあったのではないかなあ・・・と。いや、それも定かではないが。
で、引き返すにも、次の電車まで恐ろしく時間があった。いやはや、都会の感覚でものは考えられない。
仕方ないので、後免駅から後免町駅まで、一駅分歩くはめに。非常に、肩身の狭い思いであった。 
ただ、町並みは昭和ムードが漂いいい感じで。諸所にやなせたかし氏のモニュメントがあったりで、面白かった。

(筆者お気に入りの力レーパソマソも!) ヨメの機嫌も直り、よかったよかった。
夜は高知の町で、高知料理を楽しんだ… はずが、一軒目の店が雰囲気が悪く、ヨメがまた機嫌を損ねてしまった。
二軒目は非常にナイスであった。が、先ほどからの肩身の狭さがボディブローのように効いたのか、
ひどく酔ってしまい。そっからウロオボエなのだが、ひどくヨメに絡んだらしい。またやってしまったか・・・
いやこれも、猛省である。

いやま、ベタだが。平に謝るのみ。
翌朝は午前中に、急ぎ高知城を訪問した。長宗我部―竜馬ラインの信奉者としては、どうも山内家が好かず。
前回の訪問では敬遠していたのだが。ヨメたっての希望で今回は実現。しかし前夜のこともあり、
黙々と見学。写真も撮れる雰囲気ではなく。すみません。で、自分ひとりは仕事のため帰阪。
その後ヨメはひとりで高知めぐりをし、ご機嫌で帰ってきた、よかったよかった。
すんません、今回は身内の恥を晒しまくった形で。なんか、謝ってばかりの日記だ。
ま、結論として、今回の旅行を表すと、以下の感じですわ(どんな感じだ)