ときめき・ふたりハイク2011-1。

今年の歩き初めとして、「大阪のチベット」とも評される、
千早赤阪村金剛山に登ってきた。標高1125Mの大阪最高峰だ。
実は樹氷が目当てだったのだが、折からの陽気で樹氷は見られず。残念。
しかし、残雪は十分すぎるほどあり、近場での雪景色を意外に楽しめた。
自分の中学校の校歌に、金剛山や大阪港が見えるだの見えないだの、
そういう部分があり(おそらく見ることは相当難しいのだが)、
当時から一度訪れてみたい場所であった。長年の念願が叶ったのも満足だった。
関係ないが、校歌のその部分、「また目睫(もくしょう)のうちに連なる」
という、いまだにあまり意味がよくわからない言葉が使われているのだが。
歌うたびに、「またも苦笑のうちに連なる」と、別の言葉が頭の中に浮かび、
それこそ苦笑していたものである。それは私だけではあるまい。白状せい(誰に)
いかんな、どうも話がよれてしまう。
朝のラッシュのナンバ駅を、山装束で逆行。既に道の険しきを感じる。
河内長野からバスに揺られ登山口へ。月曜のこのバスは、年配の男女が満載だった。
最初、登山口から千早城までの、果てしない石段が本当にきつかった。
さすがは、かの楠木正成公が、寡兵を率いて立てこもり、ゲリラ戦を繰り広げ、
雲霞の如く城を取り巻く幕府軍を蹴散らした要害である。息も絶え絶えの中、
頭から糞尿や沸き立つ油が降ってくるところを想像する。まさに戦意喪失、だ。
ある程度登ると、少し平坦になり楽になってきたが、今度は残雪が現れた。
ここで用意していたアイゼンを装着。こういう「ひみつ道具」を使える瞬間は楽しい。
ただ、アイゼンでの歩行に慣れていないため、難儀する。すぐに筋肉痛が訪れる。
なんとか山上に到着。さらに上にある転法輪寺の方から、ドンドンドン、と太鼓が聞こえる。
ドンドンドンにあわせ、かっとばせー、やーのー、と軽口を叩くと、ヨメに叱られる。
せっかくだから、と中に入ると、偶然、護摩焚き法要が行われていた。
途中ながら、我々も中に加わり、後列に正座。太鼓に合わせた高らかな声明を神妙を聞く。
また、護摩を焚く僧侶の不思議な手順をつぶさに観察。非常に面白かった。
護摩焚きの後で、僧侶の訓話。「炎の中に不動明王をお呼びし、皆様いろいろ祈られたと思います」と。
自分は祈りを忘れ、「なんで新井は、護摩行やってるのにチャンスに弱いのか…」とか考えていた。
邪念たっぷりの自分にひたすら恥じ入るものである。
下山後は新世界に出て、温泉につかり、夕食をとる。
道すがら、新世界のジュース自動販売機が、一缶50円、60円なのに驚いてしまう。いろんなことを考える。
自分らの周りでは120円のんしかない。何がこの違いを生んでいるのか。見たところ普通のジュースである。
需要と供給の関係から決定された価格? 品質が粗悪だから? 賞味期限が短いのか?
もしそうだとしたら、そいうのって、倫理的にどうなんか? 買う人は、わかって買ってはるんか?
あるいは同じ? だとしたら120円出してる俺らは何なのか? 「場所代」を払ってるということ?
いやでも、じゃあ、周りに50円販売機があったら買うかどうか。それは疑問である。でも、なんでだろう。
ぐちゃぐちゃ考えるが、不勉強ゆえ、よくわからない。ひとつわかることは、「一国二制度」じゃないけど、
ひとつの国の中に、全然違う状況がふたつ生まれているということだ。これを自然なこと、と片付けていいのか。
国の話ついでに、飲食店やコンビニで、外国人の店員が異様に多いな、と感じたことも書いておく。たまたまの
偶然かもしれないけど。自分の知らないうちに、実はいろんな状況が、変わりつつあるんかな、と肌で感じた。
最後、その飲食店で、阪神の岡崎のユニフォーム来てた人がおって、「なんで岡崎やねん!」と思ってたら。
良く見たら、吉本の芸人さんだった。なんか、忙しそうだったので、声はようかけんかった。
迷惑がかかるといかんので、敢えてどなたかは書かないが(書いてもわかってもらえるかは、疑問←蛇足)。
ただ、芸じゃなくって、本当に生活レベルで阪神が好きなんやなあ、と感動したんである。
ええと、今日の話は、結局、なんやろ。
阪神の話でしたか。まあええわ。おしまい。