虹の向こうに・パラオ旅行記・最終回。

繰り返しになるが、えんえん、自慢話をするのが本意ではないので。
これ以上書いても、「おおそうか」としか言いようがないだろう。
最後は、少し趣向を変えて、今回のパラオ訪問でごちゃごちゃと考えたことなど。
自然と、人間と、国家と、などなどと。ぐるぐると、とりとめもなく書いてしまうが。
パラオには信号がひとつもない。
予算や技術の関係で信号がつけられない、という理由ではなく。敢えてつけていないのだ。
その昔は、信号がつけられたこともあったらしいのだが、ひとたびそれがつけられると、
かえって事故が増えてしまったのだとか。従来、お互いに空気を読みあい譲りあいしてたのが、
信号をつけることによって、信号を守る人と守らない人が混在してしまい… という事情のようだ。
で、意味ないじゃん、となり、全部はずしてしまったと。なんとも牧歌的とも言える話だ。
「守らせる」でなく「はずす」に結論が行くのが、なんとも、すごい気がするが。
ただ、考えれば「自由競争」「規制緩和」を標榜するネオコンさんも、これと変わらないかも、だ。
しかしパラオが、ええ加減な国と言いたいのか、といえばそんなことは全然なく。
美しい国を財産としてとらえ、それを守っていこう、という意識はとてつもなく高いようである。
ロックアイランドやジェリーフィッシュ・レイクなど、有名観光地に入るには料金が課せられる。
また、場所によっては立ち入りが厳しく制限されているところもある。出国時の環境税も高額だ。
日本の観光地に比べ、ここらあたりの運営は非常にうまい気がする。払う側も気持ちよく払う。
それ以外でも、市街は近代的、とはとても言えへんけど、ゴミを見かけることは、まれだ。
ゴミ分別も行き届いているようであるし。この環境意識の高さは、環境問題が死活に関わるからか。
ただそれって、日本に住む自分らも、実は同じなんかもしらへんけど。なかなか気付きにくい。
異論はあろうが、温暖化による海面上昇で、特に太平洋諸国は水没の危機に瀕しているという。
自分らだけ気をつけても、先進国や、近年の中国・インドの発展の、あおりを食うかもしれない。
小さな声は、経済発展を!という大きな声に、かき消されてしまうかもしれない。
しかし、まずは自分たちがやらねばならない、と。自分たちが変わり、世界が変わるのを待つしか。
これって、安全保障とかでも同じだろう。この小国が、一度は「完全非核」を目指したということを
世界の国々は、覚えておかねばならないだろう。
しかし、それ以前に、国とは何なのだろう、とも考えさせられることがあった。
パラオの地元の人々が話すのを聴いていると、商店街や波止場では、耳慣れない現地語が飛び交っていた。
一方ホテル近くの喫茶店には、ipodを聴いたり、パソコンをいじったり、ケータイでしゃべったりする
若者が屯していたが、彼らの会話は完全に英語で成り立っていた。さながら、一つの国の中に二つの国が、
同時に存在しているかのような、そんな感じがした。何でも、学校は全部英語で授業をするし、
比較的教養の高い人は全て、英語圏に留学してしまうのだそうな。この状況をどう考えるかは、難しい。
このままいきつくところまでいけば、パラオは完全に「英語の国」となるかもしれない。
国際優位ということを考えれば、好材料なのかもしれないが。その一言で片付けていい問題なのだろか。
パラオの中に、もしかして英語話者しかいなくなったとき。それは何を意味するのだろうか。
英語にイッチョカンでいる人間の一人として、常に考えておかねばならないことかもしれない。
前にも書いたかもしれないが、自分が英語できないのは(おい)、「自己防衛本能」のなせる業かも、と。
勢いにまかせて書いたが、やはりまとまらなかったか。
ともかく、普段の生活では考えられないようなことを考える好機とはなった。
最終回が、こういう中途半端な形になってしまうのも不本意ではあるが。
続きは、またの機会にパラオに行った時に、とっておきたいと思う。

Somewhere over the rainbow,
Bluebirds fly,
Birds fly over the rainbow,
Why then oh why can't I ...