虹の向こうに・パラオ旅行記2。


波止場「Tドック」にて。停泊するクルージング船。天気悪し。

カンクン」のソテー。いわゆる「空芯菜(くうしんさい)」だ。
パラオで自給できる数少ない野菜、であるそう。

いよいよマングローブガニ、だ。興奮のあまりピンボケに。
この後、当然ながら「無言タイム」に突入。
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パラオ。「名前はよく聞くがよく知らないところ」の代表例と言っていいだろう。
自分もその例外ではなかった。行くことが決まり調べるまでは、何も情報を持たなかった。
場所はおろか、失礼ながら、「パラオ共和国」という独立国であることさえ、だ。
日本からまっすぐまっすぐまっすぐ南に降りていって、もうすぐ赤道、というところ。
グアムの南西、台湾の南東、フィリピンの東。太平洋に浮かぶ珊瑚礁の島国、である。
太古から人は住み、独自の文化を形成していたそうだが、残念ながら文字記録が残っていない。
ゆえに歴史に登場するのは、「大航海時代」の後、西洋人との接触を持って以降、となる。
19C後半に、最初領有権を宣言したのはスペインであった。その後15年ほどのスペイン時代となる。
ここを強調すれば、ヨメの仕事で行ったことにできそうだ、と少し思った。少し、であるが。
その後スペインの没落後は、ドイツ帝国の手に渡る。そして第一次世界大戦でドイツは敗れる。
ここで出てくるのが、わが国、日本である。日本統治時代は、長く、30年にもおよぶものであった。
搾取するばかりであった西、独に比べ、日本は殖産興業と住民の生活水準・教育水準向上を旨とし、
この時期に島のインフラは急速に整備された。ゆえに、パラオ国民はいまだ親日的であり、
その証拠か、今のパラオ国旗は「日の丸」に似た「月の丸」である(青地に黄色い丸)。とかとか。
こういう情報は、自分が日本人だから入ってくるだけかもしれないが。その点を差し引いても嬉しい。
第二次世界大戦時は、一時期、我が連合艦隊の司令部が置かれるなど、戦略拠点の役割を果たす。
大戦後半には、日米両国が激しく攻防をする場となる。結果は、周知のとおり。日本の惨敗、となる。
1944年11月24日、日本軍のパラオ・ぺリリュー島守備隊は「サクラ・サクラ」の暗号を打電し、玉砕。
戦後は、国連信託統治領となるが、実質的にはアメリカの手に移った、と言ってもいいだろう。
アメリカはいわゆる「動物園政策」を施し、教育(英語による)や医療の充実ははかるも、
殖産興業はほとんど行わなかった、という。自分で調べたわけでないので、話半分に聞いておく、が。
独立は1994年。アメリカとの自由連合国、という位置づけではあるが。
その独立までの道のりは、パラオ憲法の「非核条項」を巡るせめぎあいもあり、平坦なものではなかった。
そして、その「非核条項」は未だ、棚上げされたままであるとか…
…長々と申し訳ありません。こんなん、ウィキペディア読むのと変わらない、かもしれません。
ともかく、複雑な歴史と、日本と浅からぬ縁があり、世界の中で独自の存在感を示している、
そのことだけが、言いたかったのであります。そんな「新しい歴史」に加えて…
パラオは、現地の人の言葉で「ベラウ」と言うのだとか。「ベラウ」とは「御伽噺」の意だそう。
文字で残っている歴史よりずっとずっと前の、様々なエピソードが口承の形で数多く残っている。
または、建築物の装飾や、美術品として、象形的に残されているのだそう。
それを現代的にアレンジしたものが、パラオ土産として有名な「ストーリーボード」である。
博物館を訪れ、いろんな伝承に触れたが、その中でも印象に残ったのが、以下の話だ。
パラオでは、島民に自然分娩の知識がなく、妊婦の腹を裂いて子供を取り出すほかなかったという。
がある時、蜘蛛の神様が自然分娩の知識を島に伝え、それから妊婦が死ななくなった。ありがたや、と。
というわけで、パラオでは未だ妊娠から分娩に至り、これを象徴する細かな儀式が残っている、と。
なんで自然分娩を知らないとか、そんなことに至ったか、とか。
子供が生まれる度に、母を殺していて、どうやって人口が維持されていたのか、とか。不思議とともに、
神秘と現実との微妙なバランスに、圧倒されそうになった。他にも面白い伝承はあるが、割愛。
もういい加減長くなってきたので、今日はもう一つだけ。
初日は、そいうふうに、博物館行ったり、土産物屋をひやかしたり、波止場でぼーっとしたり、と。
地元の雰囲気に同調することを目標とした。事前に他のブログ見てたら、「田舎」「何もない」
「いわゆるリゾートを求めるなら他所へ」とパラオを酷評しつつ警告なさってた人がいた。
たしかに、ビーチは近くにないし、リゾートを楽しむには、オプショナルツアーに頼らないといけない。
ただ、自分には、この雰囲気、ヒットだったけどなあ… 車と土煙… じめっと暖かい空気…
家の前に涼み台(?)を出して語らう人々… 自由にうろつく犬、ねこ、にわとり… 体内時計が狂う感じ…
「Tドック」の近くをうろついていると、音楽を大音声で流して、踊りに興じる集団があった。
あとから考えれば、クルージング船でショーをする人々が練習していたのかな、とも思うが。
最初はゆるいビートの、いかにも南洋的な音楽でまったりと、ゆらゆらと踊っていたのだが。
音楽がかわり、今度は一転、とてつもないアップビートの軽快な曲となった。しかしよく聞くと…
「あの娘をペットにしたくって… ニッサンするのがパッカード…」
いやはや、この南洋の地で、小林旭を聴くとは思わなかったよ。
パラオにいるときゃ、何と呼ばれたの。昔の名前で出ています。わけわからんぞ。
観光客向けの練習? にしては、たぶん、今時、知ってる日本人は少ないと思うぞ…
ああ、もう失礼。ナカナガ書くのもフォドフォドに。
ここらで止めてもいいコロナ、てっことで。