今そこにある危機を。

旅行記も書きたかったのですが、ちょっと印象深い出来事があったので、
旅行記はまたにして、今日はそちらを書かせてください。
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自分は毎日出勤時、運動とストレス解消のため、最寄り駅を利用せず、
三駅先まで歩いている。昨日、その二駅目の付近で、それは起こった。
ちょっと説明しにくいのだが、線路沿いに郵便局があって、踏切があって、
そのまた先に交差点がある。そういう場所だ。その交差点は非常に複雑で、
そこに踏切が複合され、ただでさえ渋滞が起こりやすい場所なのである。
昨日通りがかると、その郵便局の前に、なんとハザード出して停まってる車があり、
交通は完全に大混乱に陥っていた。良く見ると、中には人が乗ってる様子だった。
それを後続の車は、いらだち紛れに回避し、クラクションすら鳴らして行く車もあった。
「なんぼきっついとこ停めとんねん」 と自分も思い、憤りすら感じつつ側を歩き去った。
ただ、1分ほど歩きながら、あれって、もしかして立ち往生しとんのやないか、と。
だとしたら、助けてあげるべきなんじゃないか、と。戻るべきなんやないか、と。
でも、ただ常識ない人が停まってるだけかもしれんし。立ち往生を装った詐欺かもしれん。
それやったら、自分が戻ってもしょうがないし、なんでだいいち自分がやらないかんねん…
うんたらかんたら迷った。
しかし結局、自分も同じような状況に陥り、見知らぬ人に助けられたことが、そいやあった。
ま、昨今流行の伊達直人を気取るのもありかもしれんし。停まってるだけなら注意したらええ話。
そこで腹は決まり、1分ほどもと来た道を引き返した。状況はかわっていなかった。
思い切って近づき、動かないんですか?と声を掛けると、中には女性が二人いて、
「そうなんです、どうしましょう」と返答があった。聞くとエンジンはかかるが、
(ハザード出してるくらいだから)ローに繋ぐとダウンしてしまうらしい。ああ、クラッチ板やな。
ともかくここ停まってるとやばいんで、動かしましょう。車押しますんでニュートラルに入れて、と。
よく考えたら、二人乗っているのだから、少なくとも一人には押してもらえばよかったのだが。
そこまでは頭が回らなかった。一人、渾身の力をこめて車を押すが、微動するのみで、かなりきつい。
女性達の結構な他力本願ぶりに、少々いらっときながら、半ば関わったことを後悔し始めたところ。
(あとから考えれば、パニクってはったんだろうし、無理もないんだろうが)
こっからが感動した。
通りがかりの兄ちゃんが、何も言わずにさっとやってきて、一緒に押してくれたのだ。
その兄ちゃんの方が冷静で、左はレッカーが入れないから、そこ右の駐車場に入れましょう、
つうか、ハンドルかわりましょう、出て押してくださいと指揮してくれた。いやこれ、神を見たね。
これも神のサービスか、うまい具合に電車が来て、対面の交通が止まったのもラッキーだった。
あとは三人で押し、無事、駐車場に避難できた。あとはJAFさんを待つばかり、とそこで別れた。
これは、自分の善行自慢をするわけじゃない。そう取られる覚悟はあるし、その点は恥ずかしい。
が、自分がちょっと思い切ることで、事態が動いたこと。それに考えさせられたことを、伝えたいのだ。
ただ、言うても自分も迷ったし、いろいろ疑ったことも否めない。また、ビジョンもなかった。
兄ちゃんのようにもっと格好良く、ささっと、また、賢くできたらもっとよかったんだろうが。
あと、自分が前に助けられたことがなければ、また、伊達直人が流行ってなければ、
こんなことはせんかったかもしれん。あの女性二人が、またこっから何かを感じて、
その「感じ」を次に繋いでってくれたら、それはそれで嬉しい。
そういう小さな積み重ねで、大きい何かが動くかもしれない。なんてこというのは青いかもしれんが。
最後になるが、停まったのが、踏切の中でなくて、本当によかった。
最初その踏切に向かって真っ直ぐ、自分は押そうとしていた。
自分の短慮にぞっとするとともに、神兄ちゃんの光臨をなおのこと、ありがたく思う次第。
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ひさびさ<本日の言葉>
「あのね、目の前の人を救えない人が、もっとでかいことで助けられるわけないじゃないですか。
 … 目の前の危機を救えばいいじゃないですか。今、目の前で泣いてる人を救えない人間がね、
 明日、世界を救えるわけがないんですよ。」
                      伊坂幸太郎 『砂漠』より



最近読んだ(また取り上げるかも)、これに影響された、というのもある。
なんせ、根が単純ゆえ。