『テレビの大罪』。

テレビの大罪 (新潮新書)

テレビの大罪 (新潮新書)

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先にも述べたが。日本シリーズの地上波全国放送中止を受け、
テレビの現状と今後についての関心が自分の中で高まる中。
書店で偶然見つけた。あまりにキャッチィなその題にひかれ購入。
著者の和田秀樹氏も「おわりに」で述べているように、
「丸ごと一冊、テレビについて攻撃しつづけるという本」である。
まあいろいろあって、よっぽど腹立ってはったんやろな、というのはわかった。
自分が求めていた「テレビの衰亡」「他メディアとの競合」という論点は
あまりなかったかもしれないが、概ね、興味深く読むことが出来た。
特に中盤からおわりにかけての、
「4 元ヤンキーに教育を語らせる愚」
「5 画面の中に『地方』は存在しない」
「7 高齢者は日本に存在しないという姿勢」
の章は、自分の現在の問題意識と重なったり、かち合ったりする部分が多く、
非常に面白かった。
4章においての「不良礼賛をやめろ」という主張や「スクールカースト」の話。
あるいは「ゆとり教育」をとりまく諸々については、大きく頷けるところがあった。
ただ、それに対するアンチテーゼが「勉強は大事」「いい学校に行って損はない」。
そこに留まっているのにもどかしさを感じる。社会と教育のリンキングについての
議論がもう少し欲しかった気がする。ただそこがメインテーマではないので無理もないが。
5章7章については。画一的な模範と価値観の押し付け、に深く考えされられた。
5章の飲酒運転のくだりは、ちょっと強引かな、とも思ったけど。交通事情と社会慣習の差を
全く無視して、全て首都基準で取り締まる(そして人生を狂わされる人もいる)のもどうか、
という議論は一理ある。
また、7章では。老老介護、在宅介護を美談としてとらえ、施設介護が悪者とされている現状が
取り上げられていた。「そもそも、日本には家族による在宅介護の伝統などありませんでした」
とのくだりには、衝撃をうけた。人間五十年の昔は、介護が必要なまで長生きする人なんて稀だった。
またいたとしても、地域ぐるみや、また極論すれば使用人が看ることができた、と。
考えてみれば、わかる話だが。そういう思考を奪うのは、テレビに代表される「あるべき姿」の影。
うむ。老老介護を美談と思う人もいていいんだろうけど、美談で片付けられないこともあろう。
ともかく、いろいろな人がいて、いろいろな事情があり、いろいろなことを考えている人がいる、
ということを、テレビは、ひいては日本の社会は許さないのだと。至言であると思う。
この件に関してはもっともっと言いたいことがあるのだが、もういい加減長くなったので。失礼。
ただ、著者も最後で述べているように、善か悪か、という二分法は危険であるし。
ここでも、反テレビ論を大上段から振りかざすことは真意ではない。
いろいろな人が、いろいろに暮らし、いろいろに幸福なのが、成熟した社会であると思う。
テレビはまさに両刃の剣であり、いい風に転がれば、それにめっさ寄与できるとは思うのだ。
これ、入試問題の「テレビの功罪」がテーマの小論文の模範解答に、どやろ(笑)。
そんな問題があったとしたら、少し古い部類になってしまうかもしれないが。